趣里のバレエの実力がすごい!留学先はイギリスの名門校で、辞めた理由は大ケガだった

朝ドラブギウギのヒロインを務め、映画や舞台でも実力派として活躍する俳優の趣里さん。

父は水谷豊さん、母は伊藤蘭さんという芸能一家に育ちましたが、もともとはプロのバレリーナを目指していたことをご存じでしょうか。

投稿者

趣里さんのバレエの実力や留学先の学校、通っていた学校やバレエ教室、そしてバレエを辞めた理由まで、本人のインタビューをもとに調べてみました。

記事のポイント

  • 4歳からバレエを始め小学生で主役に
  • 15歳でイギリスのバレエ学校へ留学
  • 大学は明治学院大学文学部芸術学科
  • 留学中の大ケガでバレエを断念し俳優へ

趣里のバレエの実力がすごい!留学先や通った学校は?

  • 4歳からクラシックバレエを始めた!
  • 通ったのはバレエ団直属の教室だった
  • 小学5年生でくるみ割り人形の主役を演じた
  • 中学卒業後に15歳でイギリスへバレエ留学!
  • 留学先はロンドンのバレエ学校とされる
  • 寮生活でホームシックになりながら練習に励んだ
  • 小学校と中学校は桐朋学園とされる
  • 大学は明治学院大学文学部芸術学科に進んだ

4歳からクラシックバレエを始めた!

趣里さんがクラシックバレエを始めたのは、4歳のときです。同じ幼稚園に通う友達から、一緒にバレエを習わないかと誘われたのがきっかけでした。

 

この投稿をInstagramで見る

 

趣里(@shuri.and.mg.official)がシェアした投稿

母の伊藤蘭さんに、やるかと聞かれ、迷いながら始めたそうです。
ところが、誘ってくれた友達はすぐにやめてしまい、趣里さんだけがずっと続けることになりました。

レッスンを重ねるうちに、やればやっただけ基礎が身につき、努力した分だけ体が動くようになることが楽しくなっていったといいます。

1990年9月21日生まれの趣里さんにとって、バレエは子どものころの毎日の活力そのものでした。

通ったのはバレエ団直属の教室だった

趣里さんが通っていたのは、バレエ団直属の教室でした。

週刊朝日の対談で、たまたま入った教室がバレエ団直属で、先輩たちの公演を見たり、小さくても子役で出られたりしたので、どんどん憧れがふくらんでいったと話しています。

ネットでは、東京・世田谷区を拠点とする井上バレエ団の教室に通っていたといわれていますが、本人が教室名を明かしたものは確認できませんでした。

毎年クリスマスの時期にはくるみ割り人形が上演され、教室の生徒たちも舞台に立つことができたそうです。

投稿者

幼いころからプロの舞台を間近で見られる環境だったんですね。

舞台で表現したものに反応してもらえることが、すごく幸せだったと振り返っています。

小学5年生でくるみ割り人形の主役を演じた

趣里さんは、小学5年生のときにくるみ割り人形の主役を演じています。

小学校低学年のころは、くるみ割り人形でネズミの役を演じ、すぐ近くで素敵に踊る先輩たちの姿を見て、あんなふうになりたいと強く憧れたそうです。

家に帰ってからも、バレエのビデオテープを擦り切れるまで見ていたといいます。

日刊ゲンダイによると、小学5年生で主役を演じたことで、プリマバレリーナになる夢を現実にしようと、練習にいっそう真剣に取り組むようになりました。

ネズミ役から主役へ。わずか数年でここまで上り詰めたことからも、趣里さんのバレエの実力の高さがうかがえます。

中学卒業後に15歳でイギリスへバレエ留学!

趣里さんは、中学卒業後の15歳でイギリスへバレエ留学しています。

中学に入ると、せっかくやるからには高みを目指したい、海外でもっと本格的にバレエを習いたいと考えるようになりました。

海外のバレエ学校のオーディションを受けて合格し、中学を卒業して間もなく、単身でイギリスへ渡ります。

ロンドンの学校は9月入学のため、それまでは日本のインターナショナルスクールのようなところで英語を勉強していたそうです。

家族が自分のやりたいことに理解を示してくれたことは、すごく恵まれていたと振り返っています。

留学先はロンドンのバレエ学校とされる

趣里さんの留学先は、ロンドンにあるバレエ学校です。

本人はインタビューでロンドンにバレエ留学したと話していて、学校名は明かしていません。

ネットでは、アーツ・エデュケーショナル・スクールズという学校だったといわれています。1939年創立の舞台芸術の名門校で、女優のジュリー・アンドリュースさんの母校としても知られる学校です。

日刊ゲンダイも、名門のバレエ学校に留学したと伝えています。

ただし、学校名は本人や事務所が公表したものではないため、確定情報ではない点に注意が必要です。

寮生活でホームシックになりながら練習に励んだ

趣里さんはイギリスで、4人部屋の寮生活を送っていました。

お風呂は浴槽がなく、シャワーが10個ほど並んでいるだけ。食事は食堂でとっていて、おいしくはなかったかもしれないと笑って振り返っています。

最初はホームシックになり、毎日家族に電話をかけたため、国際電話の料金がすごいことになったそうです。

それでも、イギリスの子が家族に電話して廊下で号泣している姿を見て、自分だけじゃない、頑張ろうと冷静になれたといいます。

投稿者

15歳で一人で海外に渡り、厳しい環境で頑張っていたなんて本当にすごいですね。

午前中は数学などの学科の授業、午後はハードなレッスンという毎日でした。

小学校と中学校は桐朋学園とされる

趣里さんの小学校と中学校は、桐朋小学校と桐朋女子中学校といわれています。

東京都調布市にある桐朋学園の系列校で、ネット上には在籍していたという情報が複数見られます。

ただし、本人が学校名を明かしたものではなく、確かな情報とまではいえません。

中学時代もバレエ一筋で、部活動はせずにバレエのレッスンに打ち込んでいたようです。

中学2年生のころには、すでに海外でバレエを学ぶことを考え始めていたといわれています。

大学は明治学院大学文学部芸術学科に進んだ

趣里さんは、明治学院大学文学部芸術学科に進学しています。

ケガで帰国した後、リハビリを続けながら高卒認定試験に合格し、一般入試で大学に入りました。

週刊朝日の対談では、周りがみんな大学に入るようなので、自分も勉強しなきゃと思って受験したと話しています。

芸術学科を選んだのは、演劇の歴史を学んだり、映画を鑑賞したり、身体表現の授業があったりと、おもしろそうだと思ったからだそうです。

当時はバレエや舞台を見るとつらくなっていたものの、バレエ以外の表現もあると思い始めたことが、俳優の道につながっていきます。

趣里がバレエを辞めた理由と俳優の道へ

  • バレエを辞めた理由は留学中の大ケガ!
  • 帰国後は引きこもりのような状態だった
  • 舞台との出会いで心が回復した
  • 恩師の塩屋俊の言葉に背中を押されて俳優になった
  • バレエで培った精神力が今の芝居に生きている!

バレエを辞めた理由は留学中の大ケガ!

趣里さんがバレエを辞めた理由は、留学中のジャンプの着地の失敗による大ケガです。

ずっと人一倍頑張らないといけないと感じて無理をしていたなか、少し気が緩んだときにジャンプの着地に失敗してしまったそうです。

日刊ゲンダイによると、ケガはアキレス腱断裂と足首の剥離骨折でした。

日本の医師からは、元のようには踊れないかもしれない、感覚は元に戻らないと告げられました。

投稿者

ずっと夢見てきた道が、一瞬のケガで閉ざされてしまったのはあまりにもつらいですね。

イギリスに渡って2年ほどがたった17歳のころで、日本でバレエを続ける道もありましたが、それは自分がずっと目指してきたバレエではなかったと語っています。

帰国後は引きこもりのような状態だった

バレエを断念した趣里さんは、帰国後、何もやる気が起きない状態になりました。

FRaUのインタビューでは、すべてを失った気持ちになり、絶望感でいっぱいだったと振り返っています。

頭がぼーっとして、周りから見たら引きこもりのようだったでしょうねと話していました。

不思議なことに、足の痛みだけが生きていることを実感させてくれたそうです。

踊ることが生きることだった趣里さんにとって、バレエを失ったことは、生きる意味を見失うほどの出来事でした。

舞台との出会いで心が回復した

そんな趣里さんの心を回復させたのは、舞台との出会いでした。

役者たちが肉体と言葉を使ってステージで躍動する姿にワクワクし、こんな世界があるんだと心も体も驚いたそうです。

それからは小さな劇場の作品にも足を運ぶようになり、日本の作家や演出家によるオリジナル作品に特に心を惹かれたといいます。

バレエと同じように、どの舞台にも一つの作品にものすごい熱量が注がれていることに気づきました。

投稿者

絶望のなかで出会った舞台が、新しい夢につながったんですね。

無気力だった心が、舞台を観るたびにどんどん元気になっていったそうです。

恩師の塩屋俊の言葉に背中を押されて俳優になった

趣里さんが俳優を目指したのは、恩師の塩屋俊さんの存在が大きかったといいます。

18歳ごろから、俳優の塩屋俊さんが主宰するアクターズクリニックに通い始め、演じることの面白さに目覚めました。

塩屋俊さんは、コンプレックスもわかったうえで、自分を解放していいんだよ、お前は大丈夫、芝居をやったほうがいいと言い続けてくれたそうです。

その言葉を信じて舞台やドラマのオーディションを受けるようになり、2011年に3年B組金八先生ファイナルで女優デビューを果たしました。

投稿者

自分を信じてくれる恩師に出会えたことが、人生の転機になったんですね。

その後、2018年の主演映画生きてるだけで、愛。で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、2023年には朝ドラブギウギのヒロインに選ばれています。

バレエで培った精神力が今の芝居に生きている!

趣里さんは、バレエで養われた精神力が今の芝居に生きていると話しています。

新国立劇場の対談では、ひとつの舞台にすべてのエネルギーを注ぐバレエの経験から、舞台人としての基礎を学んだと語りました。

何事も準備万端で臨みたいのは、バレエをやっていたときの癖かもしれないとも明かしています。

今でも舞台で踊ったり、ミュージックビデオでダンスを頼まれたりすると、ああ、踊れると思ってうれしいそうです。

バレエの夢は叶わなかったものの、そこで身につけた努力する力と表現力が、実力派俳優としての趣里さんを支えています。

【まとめ】バレエの実力がすごい!留学先はイギリスの名門校で、辞めた理由は大ケガだった

  • 趣里は4歳のとき、幼稚園の友達に誘われてクラシックバレエを始めた
  • 通っていたのはバレエ団直属の教室で、井上バレエ団といわれる
  • 小学校低学年でくるみ割り人形のネズミ役を演じた
  • 小学5年生でくるみ割り人形の主役を演じた
  • 中学卒業後の15歳で、オーディションを経てイギリスへ留学
  • 留学先はロンドンのバレエ学校で、アーツ・エデュケーショナル・スクールズとされる
  • 4人部屋の寮生活で、最初はホームシックになった
  • 小学校と中学校は桐朋学園の系列校とされる
  • 大学は一般入試で明治学院大学文学部芸術学科に進学
  • バレエを辞めた理由は、ジャンプの着地失敗による大ケガ
  • ケガはアキレス腱断裂と足首の剥離骨折と報じられた
  • 帰国後は引きこもりのような状態になった
  • 舞台との出会いで心が回復し、恩師の塩屋俊の言葉で俳優の道へ
  • 2011年に女優デビューし、2023年には朝ドラのヒロインに
  • バレエで培った精神力と努力する力が、今の芝居に生きている

\ 最新情報をチェック /

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

error: Content is protected !!
トップへ戻る