内藤剛志の妻は帽子デザイナーの永井みどり!代ゼミ一目惚れ馴れ初めと7年同棲後の結婚を完全解説!

内藤剛志さんの妻・永井みどりさんは帽子デザイナーとして活躍しており、2人は代々木ゼミナールで出会い7年の同棲後に1982年に結婚しています。

写真が非公開の理由や夫婦円満の秘訣、娘さんのスタジオジブリ就職エピソードなど、内藤剛志さんの家族について詳しく解説します。

内藤剛志の妻・永井みどりとは?プロフィールと帽子デザイナーとしての活動を徹底解説

  • 帽子デザイナーとして活躍する永井みどりの素顔が判明!
  • 顔写真が非公開な理由と旧姓で活動し続ける意志
  • 代ゼミの夏合宿で一目惚れ!ジャズ喫茶に誘った劇的な馴れ初め
  • 7年間の同棲を経て1982年に結婚した経緯
  • 干渉しない自立した夫婦関係と夫婦円満の秘訣
  • 再婚相手の噂はデマ!1982年から変わらない夫婦関係

帽子デザイナーとして活躍する永井みどりの素顔が判明!

内藤剛志さんの妻・永井みどりさんは、自身のブランドで帽子を制作・販売する帽子デザイナーです。内藤剛志さんが過去に出版したエッセイで妻の名前と職業を公表したことから、世間に「永井みどりさんが帽子デザイナーである」という情報が広まりました。永井みどりさんは神奈川県横浜市の出身で、旧姓の「永井」を名乗りながら帽子デザイナーとして活動を続けています。

 

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内藤剛志さんのエッセイには「奥さん:永井みどり(19-27) 帽子デザイナー P158」という記述があったとされており、夫のエッセイという形で初めて世間に存在が知られることになりました。エッセイを読んだ方のブログによってこの情報が広まり、帽子デザイナーとしての活動に関心を持つファンが増えていきました。

永井みどりさんは国内各地で個展や展示会を精力的に開催しており、都内の有名百貨店やギャラリーでも帽子の展示・販売を行ってきた実績があります。来場者のブログには「上品なのにとても気さくな方」「全部の帽子を被って遊んで行ってください、とたくさんお話ししました」という感想が残っており、来場者との距離が近く、親しみやすい人柄がうかがえます。帽子の配色や素材選びのセンスも評判で、派手すぎず日常になじむデザインを得意としており、リピーターのファンも多いとされています。

内藤剛志さんが俳優として長年第一線で活躍できている背景には、永井みどりさんが自身のキャリアを持ちながら家庭をしっかりと支えてきたことが大きいと見られています。帽子デザイナーという専門職を持つ一方で、家庭では夫の仕事に干渉せず自立したパートナーシップを築いており、俳優業に集中できる環境を作り出してきたと考えられます。

永井みどりの帽子展示会と来場者の声

永井みどりさんの帽子展示会の情報は、来場した一般の方々のブログに多く残されています。「永井みどりさんの帽子展で購入しました。ご主人は俳優の内藤剛志さん」という書き込みが複数存在することから、帽子デザイナーとして地道にファンを獲得してきたことがわかります。小規模な個展から東急百貨店などの大型施設での展示まで、さまざまな規模の展示会を開催しており、多くの帽子愛好家に作品を届け続けています。

顔写真が非公開な理由と旧姓で活動し続ける意志

内藤剛志さんの妻・永井みどりさんの顔写真は公表されておらず、現在もメディアへの露出はほぼありません。写真を公開しない最大の理由は、一般人としての生活と帽子デザイナーとしての仕事を守るためだと考えられます。夫の俳優業と自分の仕事を切り離し、作品の世界観や技術力そのものを評価してもらいたいという強い意志があるのではないかと推測されます。

もし顔写真が広く知られてしまった場合、展示会に来場した方々の関心が帽子作品ではなく本人に集中してしまう可能性があります。帽子デザイナーとして純粋に作品を見てほしいという意図から外れてしまうため、あえて非公開にしているという判断は、仕事への真摯な姿勢の表れとも受け取れます。芸能人の配偶者として注目されることを自ら避けながら、地に足のついたクリエイターとして活動を続けている姿には、プロとしての誇りが感じられます。
さらに注目すべき点として、永井みどりさんは結婚後も旧姓の「永井」を使い続けていることが挙げられます。内藤剛志さんの自宅のポストには「内藤」と「永井」の2つの苗字が並んでいるとされており、帽子デザイナーとしての仕事において結婚前から積み上げてきたブランドとアイデンティティを大切にしていることがわかります。仕事上の実績を旧姓で積み上げてきたデザイナーとして、結婚後も旧姓を名乗り続けるという選択は、現代の夫婦のあり方の先行モデルとも言えます。

内藤剛志さん自身も家族のプライバシーを非常に大切にする人物であり、娘さんの名前も顔も公表していません。夫婦そろってプライバシーを重視するスタンスが一致しているため、永井みどりさんの情報が外に出てこないのは、夫婦共通の価値観の表れだと言えるでしょう。

ポストに2つの苗字が並ぶ夫婦のあり方

内藤剛志さんが出演したテレビ番組でのエピソードとして、自宅のポストに「内藤」と「永井」の2つの苗字が並んでいるという話が語られています。帽子デザイナーとしてのキャリアを旧姓で積み上げてきた永井みどりさんにとって、「永井みどり」という名前はブランドそのものです。仕事上のアイデンティティを守りながら夫婦の生活を共にするこのスタイルは、互いを尊重し合う関係性を象徴しています。

代ゼミの夏合宿で一目惚れ!ジャズ喫茶に誘った劇的な馴れ初め

内藤剛志さんと永井みどりさんの馴れ初めは、大阪から上京した内藤剛志さんが代々木ゼミナール(代ゼミ)に通っていた時期に始まります。高校卒業後に大学進学を目指して予備校に入った内藤剛志さんは、夏の強化合宿の場でかわいい女子2人を見かけ、一目惚れしたとされています。その2人のうちの1人が、後に妻となる永井みどりさんでした。

ある日、予備校に向かう道で永井みどりさんと偶然鉢合わせした内藤剛志さんは、チャンスと判断して声をかけ、近くのジャズ喫茶にお茶に誘いました。

当時の内藤剛志さんはまだ18歳で、今の落ち着いたイメージとは異なり、アクティブで行動力のある一面を持っていたことがうかがえます。このジャズ喫茶でのお茶の誘いが2人の交際のきっかけとなり、長い恋愛関係へと発展していきました。

のちに内藤剛志さんは「代ゼミでナンパしました。2人とも18の時」と話しており、予備校での出会いであったことを率直に語っています。同じ受験という目標に向かって努力していた若い2人が、同じ場所・同じ時間を過ごすことで自然に惹かれ合っていったのでしょう。内藤剛志さんが自分から女性に積極的に声をかけたというエピソードは、現在の落ち着いた印象とのギャップもあり、ファンの間でも人気のエピソードとなっています。

その後2人は正式に交際をスタートさせましたが、すぐに結婚するわけではなく、お互いの夢や仕事を追いながら長い交際期間を過ごすことになります。内藤剛志さんは日本大学芸術学部映画学科に進学するも中退し、俳優の道へと進んでいきました。一方で永井みどりさんも帽子デザイナーとしての道を歩み始め、2人はそれぞれのキャリアを歩みながら関係を深めていきました。

「代ゼミでナンパしました」という率直な告白

代々木ゼミナールという受験という共通の目標を持つ場で出会った2人は、努力する環境を共有したことで価値観のベースを共有したとも言えます。

夏の強化合宿という普段と異なる特別な環境の中で、何気ない偶然の再会をきっかけにジャズ喫茶へ誘うという行動力が、2人の関係のはじまりとなりました。予備校という意外な場所から始まったラブストーリーは、40年以上続く夫婦の歴史の出発点となっています。

7年間の同棲を経て1982年に結婚した経緯

内藤剛志さんと永井みどりさんは、交際から7年間という長い同棲期間を経て、1982年に正式に結婚しています。この時2人はともに27歳でした。7年間という長い同棲期間は、お互いの生活リズムや性格、仕事への姿勢を深く理解し合う貴重な時間だったと言えます。俳優と帽子デザイナーというそれぞれ独立したキャリアを歩みながら、生活を共にすることで信頼関係を着実に積み上げていきました。

7年もの同棲を経てもなお別れることなく結婚に至ったという事実は、2人の間の深い信頼と相性の良さを物語っています。長い時間をかけて相手の良い面も課題も理解し合った上での結婚であるため、その後の夫婦生活も安定した関係を維持できていると考えられます。同棲期間中、互いに干渉しすぎず適度な距離感を保つスタイルが自然と確立され、それが結婚後もそのまま夫婦関係のスタイルとなっていったのかもしれません。

1982年の結婚当時、内藤剛志さんは1980年に映画「ヒポクラテスたち」でデビューし、俳優としてのキャリアを本格的に歩み始めたばかりの時期でした。まだ下積み期間中と言える段階での結婚でしたが、2人はそれぞれの仕事を支え合いながら家庭を築いていきました。翌1983年には娘さんが誕生し、3人家族となっています。

結婚から40年以上が経過した現在も、内藤剛志さんと永井みどりさんは変わらず夫婦関係を続けています。離婚の噂もなく、夫婦での共演やメディア露出もほとんどないながら、堅固な絆を築き続けていることがさまざまなエピソードから伝わってきます。

同棲7年が育んだ「干渉しない」という夫婦のスタイル

内藤剛志さんが語っている夫婦の関係を振り返ると、「奥さんがいい人なんだと思う。本当に干渉しない」という言葉が印象的です。7年の同棲生活を経ることで、お互いの仕事への取り組み方や価値観が深く理解され、干渉しないという関係性が自然に生まれたのだと考えられます。同棲という形で時間をかけて積み上げた信頼があってこそ、今の自立した夫婦関係の土台となっているといえるでしょう。

干渉しない自立した夫婦関係と夫婦円満の秘訣

内藤剛志さんは自身の夫婦関係について語る際、「妻が自分の仕事に干渉しない」ことを夫婦円満の大きな理由に挙げています。永井みどりさんは内藤剛志さんの俳優業に深く口出しすることなく、それぞれの仕事に集中できる環境を作ることで、長年にわたる良好な夫婦関係が保たれてきたとされています。

内藤剛志さんが実践している夫婦円満の秘訣のひとつが、仕事が終わったら妻にLINEで「終わったよ」と一言送ることです。派手なサプライズや長い電話ではなく、シンプルな一言で存在を伝えるこのコミュニケーションスタイルが、2人の関係をうまく機能させているようです。

また「食卓は自分の意見を発表する場ではない」という内藤剛志さんの言葉も印象的で、家庭では仕事や社会に関する強い意見を持ち込まないことを意識していることがうかがえます。

現在、子供の娘さんが独立して一人暮らしをしているため、内藤剛志さんと永井みどりさんは東京・横浜・京都に3軒の家を持ちながら行き来する2人暮らしをしています。近年は京都に定住していく方向性を考えているとされており、老後を京都で過ごしたいという意向を持っているようです。仕事が多い時期は拠点を移しながらも、夫婦で生活を共にするスタイルが続いています。

永井みどりさんが内藤剛志さんの仕事に干渉しないというスタイルは、帽子デザイナーとして自身の仕事を持っているからこそ成立しているとも言えます。互いに自立したキャリアと時間を持ちながら生活を共にする関係性は、現代においても理想的なパートナーシップの形の一つとして多くの人から共感を集めています。

「終わったよ」のLINEが象徴する夫婦の絆

仕事終わりに妻へのLINEで「終わったよ」と送るというシンプルな習慣は、内藤剛志さんが大切にしているコミュニケーションです。長年連れ添った夫婦だからこそ、言葉を多く必要とせず一言で伝わる関係性が出来上がっているのでしょう。過度な干渉はせず、それでも存在を確認し合うこの関係性が、40年以上続く夫婦仲の秘密のひとつと言えます。

再婚相手の噂はデマ!1982年から変わらない夫婦関係

インターネット上では「内藤剛志 再婚相手」というキーワードが検索に挙がることがあります。しかし、内藤剛志さんが離婚して再婚したという事実は確認されておらず、1982年の結婚以来、永井みどりさんとの夫婦関係は変わらず続いています。沢口靖子さんとの結婚の噂もドラマ「科捜研の女」などの共演関係から生まれたものであり、内藤剛志さんと沢口靖子さんは夫婦ではありません。

再婚の噂が浮上した背景には、内藤剛志さんが家族についてほとんど語らないこと、また妻や家庭の情報が外に出てこないことが挙げられます。プライバシーを重視した結果として私生活が不透明に見えるため、離婚して再婚したのではという憶測が生まれやすい状況になっているのです。

さらに内藤剛志さんはドラマや映画で離婚や再婚を設定に持つ役柄を多く演じてきたこともあり、フィクションの設定が現実と混同されてしまうケースもあります。

また検索候補に「再婚」「離婚」といった言葉が表示されること自体が、まるで事実があるかのように誤解されることもあります。

しかし検索候補はあくまで多くの人が検索したという結果に過ぎず、実際に離婚や再婚が起きたことを示すものではありません。実際のところ、内藤剛志さんは夫婦での出演や家族エピソードを通じて永井みどりさんとの関係を長年語り続けており、再婚相手が存在するという信頼できる情報は存在しません。

内藤剛志さんと永井みどりさんが1982年から40年以上ともに歩んできた事実は、エッセイや各種インタビューのエピソードから十分に確認できます。再婚や離婚の噂はデマであると断言でき、現在も同じパートナーとの生活を続けていると考えられます。

沢口靖子との噂も完全なデマ

「科捜研の女」で長年共演を続けている沢口靖子さんとの関係については、ドラマ内でのパートナー的な関係のイメージが一人歩きした可能性があります。
しかし沢口靖子さんは2020年に一般男性との事実婚を公表しており、内藤剛志さんとの夫婦関係の噂は完全にデマです。テレビドラマのキャラクター設定と俳優の実際の私生活を混同しないよう注意が必要です。

内藤剛志の子供と家族構成|娘の大学・スタジオジブリのエピソードを解説

  • 家族構成は3人!妻・永井みどりと娘との温かい家庭
  • 娘はスタジオジブリのアニメーター!夢を叶えた経緯と仕事ぶり
  • 反抗期なし!「タカシ」と名前で呼ばれる父親と娘の仲良しエピソード
  • 「息子が俳優」という噂はデマ!子供は娘1人だけ
  • 俳優・内藤剛志のプロフィールと代表作

家族構成は3人!妻・永井みどりと娘との温かい家庭

内藤剛志さんの家族構成は、妻・永井みどりさんと娘さんの3人家族です。1983年に娘さんが誕生し、3人で家庭を築いてきました。娘さんの名前や顔写真は公表されておらず、一般人として生活しているため、詳細な情報は限られています。

現在、娘さんはすでに独立して一人暮らしをしており、内藤剛志さんと永井みどりさんは2人暮らしの生活を送っています。子供が巣立った後の夫婦生活においても、東京・横浜・京都の3拠点を行き来しながら一緒に生活を続けており、夫婦の絆が変わらず続いていることが感じられます。

内藤剛志さんは以前から「近年は京都に定住して老後を過ごしたい」と語っており、夫婦で将来の生活設計を話し合っている様子がうかがえます。

内藤剛志さんはインタビューやテレビ出演の際に、家族とのエピソードを語ることがあります。「ベスト・ファーザー賞 in 関西」を2008年に受賞しているほか、娘さんからも「適度な距離感で接してくれるところが好き」と評されており、家族から愛される良き父・夫であることが伝わってきます。俳優としての仕事に集中する一方で、家庭においては家族それぞれの自由と意思を尊重するスタイルを貫いてきたことがわかります。

内藤剛志さんは猫好きでも知られており、現在はロシアンブルーの「ニュイちゃん(オス)」とソマリの「チャイちゃん(メス)」の2匹と暮らしています。以前はアビシニアンの「ホッチナーちゃん」も飼っており、娘さんが幼稚園の頃から一緒に育った大切な家族でした。ホッチナーちゃんは娘さんが5歳から22歳頃まで、約17年間ともに過ごしたとされています。

猫と共に育んだ家族の絆

内藤剛志さんが娘さんに猫を飼わせたのは「命の大切さを知ってほしい」という想いからでした。長年一緒に暮らしたアビシニアンのホッチナーちゃんが腎臓病で病院からの呼び出しがあった際、娘さんが自ら「生命維持装置を止めてください」と申し出たエピソードは、父親の内藤剛志さんに「本当に強い子だ」と感銘を与えました。家族としての猫との生活が、娘さんの精神的な強さを育てたひとつの要因になっているのかもしれません。

娘はスタジオジブリのアニメーター!夢を叶えた経緯と仕事ぶり

内藤剛志さんの娘さんは、あの「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」で知られるスタジオジブリにアニメーターとして就職しています。娘さんは中学生の頃からスタジオジブリに入ることを夢見ており、高校生になると「フリーハンドで描きたい」という理由から美術系の塾に通い始め、着実に夢への準備を進めていきました。
その後美術大学に進学してグラフィックデザインを学び、卒業後に見事スタジオジブリへの入社を果たしています。
さらに印象的なのは、娘さんのジブリ入社にまつわる「奇跡のタイミング」のエピソードです。娘さんがスタジオジブリに就職した際、内藤剛志さんはジブリへ挨拶に赴きました。内藤剛志さんは2001年に「千と千尋の神隠し」で声優として出演しており、その縁もあって挨拶に訪れたとされています。

するとその時、ジブリでは映画「ゲド戦記」(2006年)の制作が進んでいる最中であり、内藤剛志さんが訪問したことで急遽「ゲド戦記」の声優として出演が決まったという、信じられないような展開になりました。

内藤剛志さんは2008年10月に出演したテレビ朝日「徹子の部屋」でこのエピソードを紹介しており、「一人娘はなんとあの宮崎駿監督のスタジオジブリで働いているという物作り一家である。しかも内藤さんは愛娘が制作に関わったアニメ『ゲド戦記』の声優を担当し、エンドロールで娘と共演できたことが嬉しかった」と語っています。父と娘が同じ作品のエンドロールに名を連ねるという、俳優一家ならではの感動的なエピソードです。

帽子デザイナーの母・アニメーターの娘・俳優の父という、まさに「ものづくり一家」の内藤家。それぞれが自分の情熱を持った職業に就いていることは、創造性を尊重し子供の自由な意志を大切にしてきた家庭の育て方を反映しているのかもしれません。

親子で「ゲド戦記」のエンドロールに名を連ねた奇跡

2006年公開の「ゲド戦記」は宮崎吾朗監督作品で、内藤剛志さんはセドリー役で声優を担当しています。娘さんはアニメーターとしてこの作品の制作に関わっており、同じ作品のエンドロールに父と娘の名前が並ぶという形で「親子共演」が実現しました。内藤剛志さんはこの出来事を非常に嬉しく思っており、ファンにとっても心温まるエピソードとして知られています。

反抗期なし!「タカシ」と名前で呼ばれる父親と娘の仲良しエピソード

内藤剛志さんと娘さんの関係は非常に仲が良く、2008年には「ベスト・ファーザー賞 in 関西」を受賞するほど、良き父親として認められています。2019年7月にTBS系「A-Studio」に内藤剛志さんが出演した際、番組のアンケートで娘さんが父親について回答した内容が公開されました。「適度な距離感で接してくれるところです。あれをしろ、これをしろといわれることも少なく、私がいいようにさせてくれるのでとてもありがたいです。おかげで、いわゆる『反抗期』もなかったように思います」という娘さんの言葉は、内藤剛志さんの子育ての姿勢を象徴するものです。

また内藤剛志さんは、娘さんに「お父さん」や「パパ」ではなく「タカシ」と名前で呼ばせているという変わったエピソードがあります。

「父親というのは役割であって自分の名前ではない」という内藤剛志さんの哲学から、娘さんに本名で呼んでもらうことにしたとのこと。一見驚くようなエピソードですが、内藤家では家族全員が名前で呼び合っているそうで、距離の近い親密な関係性を表しています。

誕生日には娘さんから和歌山産の吊り編みパーカーを毎年プレゼントしてもらっており、内藤剛志さんはこれを大変気に入って愛用しているといいます。和歌山の2軒のみで製造されているこのパーカーは、1時間に1メートルしか編めないという希少な生地で作られており、娘さんのこだわりと父親への愛情が感じられるプレゼントです。少し痛んできた頃合いになると新しいものを送ってくれるという心遣いも、仲良し親子のエピソードとして多くのファンに知られています。

娘さんからの言葉「話し始めると長い。意外に猫に甘い」

「A-Studio」のアンケートでは、娘さんが内藤剛志さんについて「話し始めると長いです。あと、意外に猫に甘いです」とも回答しています。厳格なようで猫にはとことん甘いという素顔が、娘さんならではの言葉で表現された微笑ましいエピソードです。硬派な刑事役で知られる内藤剛志さんの意外な一面が、娘さんの言葉から伝わってきます。

「息子が俳優」という噂はデマ!子供は娘1人だけ

インターネット上で「内藤剛志 息子 俳優」という検索ワードが出てくることがありますが、内藤剛志さんに息子はいません。子供は1983年生まれの娘さん1人のみであり、息子が俳優であるという噂は完全なデマです。この噂が浮上した背景としては、内藤剛志さんがドラマや映画で息子を持つ父親役を多く演じており、フィクションの設定が現実と混同されてしまったことが考えられます。

家族構成が外に出てきにくいことも、誤情報が広まりやすい原因のひとつです。内藤剛志さんは娘さんの名前も顔写真も公表しておらず、一般人として静かに生活できるよう配慮しています。そのため家族構成の詳細が知られておらず、息子がいるのではという憶測が生まれやすい状況となっていました。

実際には、内藤剛志さんはテレビ番組やインタビューで「一人娘」という表現を何度も使っており、ジブリでアニメーターとして働く娘さんの話を語ってきました。「徹子の部屋」での発言でも「一人娘はなんとあの宮崎駿監督のスタジオジブリで働いている」と明言しています。
また「A-Studio」での番組内アンケートでも娘さんが登場しており、娘が1人いることは公式に確認できる情報です。

「息子が俳優」という噂の発生源は特定できていませんが、インターネット上の誤情報が拡散したものと考えられます。内藤剛志さんの子供についての正確な情報は「娘1人のみ」であり、息子が俳優であるという情報は事実ではありませんので注意が必要です。

息子俳優の噂はなぜ広まったのか

芸能人の私生活に関する情報はインターネット上で誤った内容が広まることがあります。内藤剛志さんが刑事役や父親役を演じる作品が多く、息子が登場するドラマの設定がそのまま現実の話のように受け取られてしまったことが噂の一因と考えられます。内藤剛志さんの家族情報については、テレビ番組でのご本人の発言や信頼できるメディアの情報を参考にすることが重要です。

俳優としてのプロフィールと代表作

内藤剛志さんは1955年5月27日生まれの俳優で、大阪府大阪市東区(現・中央区)の出身です。身長は183cmで、現在も阪口京子事務所に所属しています。日本大学芸術学部映画学科に進学しましたが中退し、1980年に映画「ヒポクラテスたち」(大森一樹監督)でスクリーンデビューを果たしています。デビューから40年以上が経過した現在も、俳優として第一線で活躍し続けています。

趣味はトランペットやサックスなどの楽器演奏とバイクの運転で、多才な一面を持っています。代表作としてはテレビ朝日の「科捜研の女」シリーズにおける土門刑事役が特に有名で、同シリーズには長年にわたってレギュラー出演しています。刑事役や渋い中年男性の役が多く、その存在感ある演技で多くの視聴者から支持されています。

声優としてはスタジオジブリの作品にも3度出演しており、2001年「千と千尋の神隠し」、2006年「ゲド戦記」(セドリー役)、2011年「コクリコ坂から」で声を担当しています。娘さんがスタジオジブリのアニメーターであることとの縁もあり、親子でジブリに関わるという珍しい経歴を持っています。

2026年4月には、TBS「人生最高レストラン」にゲスト出演し、妻・永井みどりさんとの夫婦エピソードを語りました。長年連れ添った夫婦の日常の一コマや、夫婦円満の秘訣などを語った内容は、多くの視聴者の心に響いたとされています。年齢を重ねるほどに深みと落ち着きが増していく内藤剛志さんの俳優としての魅力は、これからも輝き続けることでしょう。

内藤剛志のプロフィール早見表

項目 内容
本名 内藤剛志(ないとう たかし)
生年月日 1955年5月27日
出身地 大阪府大阪市東区(現・中央区)
身長 183cm
所属事務所 阪口京子事務所
学歴 日本大学芸術学部映画学科中退
デビュー 1980年「ヒポクラテスたち」
趣味 トランペット・サックス演奏、バイク

【まとめ】内藤剛志の妻・永井みどりが帽子デザイナーだった!馴れ初めと娘のジブリ就職も丸わかり!

  • 内藤剛志の妻は永井みどりさんという名前の帽子デザイナーです
  • 永井みどりさんは神奈川県横浜市出身で旧姓を使いながら仕事をしています
  • 妻の顔写真は非公開で、プライバシーを大切にした一般人としての生活を送っています
  • 2人の馴れ初めは代々木ゼミナールで、夏合宿で一目惚れしてジャズ喫茶に誘いました
  • 交際から7年間の同棲を経て、1982年に27歳で結婚しています
  • 夫婦円満の秘訣は互いに干渉しないことで、仕事が終わると「終わったよ」とLINEをしています
  • ポストには「内藤」と「永井」の2つの苗字が並んでおり、旧姓で仕事を続けています
  • 再婚相手の噂はデマで、1982年から一度も離婚していません
  • 沢口靖子さんとの結婚の噂もドラマ共演によるもので、デマです
  • 子供は娘さん1人で、1983年生まれです
  • 娘さんは美術大学でグラフィックデザインを学び、スタジオジブリにアニメーターとして就職しています
  • 娘のジブリ入社のタイミングで「ゲド戦記」の声優を担当し、親子でエンドロールに名を連ねました
  • 娘さんには反抗期がなく、「タカシ」と名前で呼ばれる仲良し親子関係です
  • 「息子が俳優」という噂はデマで、子供は娘1人のみです
  • 内藤剛志さんは1955年生まれで大阪出身、1980年に「ヒポクラテスたち」で俳優デビューしています

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