祖父に三國連太郎さん、父に佐藤浩市さんを持ち、朝ドラのばけばけでヒロインの最初の夫を演じて注目を集めた俳優の寛一郎さん。
どこの大学に通っていたのか、小学校から高校まではどんな学校だったのか、気になっている方も多いはず。
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記事のポイント
- 大学には進まず、海外への短期留学を選んだ
- 俳優になる覚悟は、高校卒業のころに固まった
- 小学校から高校までは一貫校に通ったとされる
- 反抗期を経て、俳優の道へ
寛一郎の大学はどこ?進学せずロサンゼルスへ
- 大学には進学していない
- 成城大学への内部進学の道も選ばなかった
- 高校卒業後はロサンゼルスに短期留学
- 俳優になる覚悟ができたのは18歳
- 大学生と同じ年ごろに俳優デビュー
大学には進学していない
寛一郎さんは、大学には進学していません。
高校を卒業したあとは、大学に進まず、俳優の道へ。
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本人がはっきり語っているわけではないものの、18歳で俳優になる覚悟を決め、短期留学を経て2017年にデビューした流れから、大学には通っていなかったと考えてよさそう。
2019年のインタビューでは、坊主頭について「学生時代も坊主にしたことがなかった」と話していて、学生時代を過去のものとして振り返っていました。
大学のキャンパスで過ごす代わりに、俳優として生きるための準備に時間を使った、ということなのでしょう。
成城大学への内部進学の道も選ばなかった
寛一郎さんが通っていたとされる成城学園には、成城大学への内部進学という道もありました。
成城学園は、幼稚園から大学までがそろった一貫校。
それでも寛一郎さんは、大学には進まない道を選んだとみられます。
周りからは役者になるだろうと思われていたことに反発しながらも、最後は自分で俳優になると決めた寛一郎さん。
安全なレールより、自分で選んだ道を優先した決断だったのかもしれません。
高校卒業後はロサンゼルスに短期留学
高校を卒業したあと、寛一郎さんはアメリカのロサンゼルスに短期留学しています。
CREAのインタビューでも、ロサンゼルスへの短期留学のあとに事務所に所属し、俳優活動を始めたという流れ。
留学では演技を学んだとされますが、どんな学校に通い、どんな暮らしをしていたのかは明かされていません。
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帰国後に選んだのは、役者だけが所属する事務所。「誰にも負けたくないという覚悟を持っていた」と振り返っています。
俳優になる覚悟ができたのは18歳
寛一郎さんが俳優になると決めたのは、18歳のときでした。
それまでは、周りの人が「この子はきっと役者をやるだろう」と思っていることを感じていて、将来の夢を聞かれるのが苦痛だったそう。
その期待に反抗する気持ちもあり、どこかで逃げていた気もする、と話しています。
「本当に、自分が決意したときじゃないと」と考え、やっと覚悟ができたのが18歳。
ちょうど高校を卒業するころ。大学に進まなかったのも、この覚悟があったからこそでしょう。
大学生と同じ年ごろに俳優デビュー
同い年の人たちが大学に通っているころ、寛一郎さんは俳優としてデビューしました。
自主制作の映画への出演を経て、2017年に映画の心が叫びたがってるんだ。とナミヤ雑貨店の奇蹟に出演。ナミヤ雑貨店の奇蹟では、日本映画批評家大賞の新人男優賞に選ばれたほど。
翌年の菊とギロチンでも高い評価を受け、キネマ旬報ベスト・テンの新人男優賞を受賞しました。
大学の4年間にあたる時期に、もう賞を手にしていたことに。
キャンパスライフはなかったものの、そのぶん現場で学ぶ日々だったと言えそうです。
寛一郎の学歴は?小学校から高校まで
- 幼稚園から高校まで成城学園とされる
- 小学生のころは父の撮影現場に出入り
- 小学生でアイヌの集落に2週間滞在
- 小学校の謝恩会で父と祖父が朗読劇
- 中学時代はバスケとロック、映画に衝撃
- 高校時代は何かに没頭した経験がなかった
- 高校時代に3、4カ月の家出も
幼稚園から高校まで成城学園とされる
寛一郎さんの学歴は、幼稚園から高校まで東京・世田谷区の成城学園とされています。

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1996年8月16日生まれで、東京都世田谷区出身。成城学園初等学校から成城学園中学校、成城学園高等学校へと、エスカレーター式に進んだという話。
成城学園は、個性を大切にする自由な校風で知られる学校。成城学園高校の偏差値は、情報サイトでは64ほどとされています。
ただ、本人や事務所が学校名を公表しているわけではありません。
学年でいうと、2009年3月に小学校、2015年3月に高校を卒業した世代。
小学生のころは父の撮影現場に出入り
小学生のころの寛一郎さんは、父・佐藤浩市さんの撮影現場によく出入りしていました。
「『本番!』と声がかかった時には、子供ながらにその時だけは静かにしなければと思っていました」と、シネマトゥデイのインタビューで振り返っています。
さらに、「親父が本番中に演技していた姿を見ていたことは僕の今にとって、すごく大きいです」とも。
撮影現場の仕組みを知っていたことで、同級生とは違う目線で映画を観ていた、という自覚もあったそうです。
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小学生でアイヌの集落に2週間滞在
小学生のころ、寛一郎さんはアイヌの集落に2週間ほど滞在したことがあります。
文化やアートを体験する学習塾のようなところに通っていて、その課外授業の一環だったそう。
2024年のインタビューで、本人が明かしていました。
2024年には、アイヌの人々との出会いを描いた主演映画、シサムにも出演しています。
学校の外でも、ふつうの小学生ではなかなかできない体験を重ねていたことがうかがえる話。
小学校の謝恩会で父と祖父が朗読劇
寛一郎さんが小学校を卒業した2009年の春、謝恩会で父と祖父が朗読劇を披露しました。
保護者によるアトラクションの時間に、佐藤浩市さんと三國連太郎さんが5分ほどの劇を演じたというもの。
脚本を書いたのは、なんと三谷幸喜さん。佐藤浩市さんから頼まれたのだとか。
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これは、佐藤浩市さんと三國連太郎さんの最後の父子共演になったと伝えられています。
中学時代はバスケとロック、映画に衝撃
中学時代の寛一郎さんは、スラムダンクに憧れてバスケットボールをしていました。
ただ、本人いわく三日坊主な性格もあって、短い期間でやめてしまったそう。
音楽はロックが好きで、洋楽も邦楽も幅広く聴いていたのだとか。
映画では、中学生のときに観たカッコーの巣の上でやディア・ハンターが衝撃的だったと語っています。
部活で汗を流すより、音楽や映画の世界にひかれていった中学時代だったのでしょう。
高校時代は何かに没頭した経験がなかった
高校時代の寛一郎さんは、何かに没頭した経験がなかったそうです。
デビュー作の心が叫びたがってるんだ。の取材では、「僕は高校時代に、何かに没頭したことがなくて、(没頭することは)憧れだった」と話していました。
学生時代は部活をやっていなかったので、撮影現場が部活のようで青春を味わえた、と振り返っていたほど。
まわりが部活や行事に打ち込むなか、少し距離を置いて過ごしていたのかもしれません。
その分、役の中で青春を取り戻していったのかも。
高校時代に3、4カ月の家出も
高校時代には、3、4カ月ほど家出をしていた時期もあります。
2019年のフィガロジャポンの対談で、「高校の頃は、ひとりの時間がほしくて、一刻も早く家を出たかった」と明かしていました。
アルバイトをしながら公園に寝泊まりし、ホームレスの人とも親しくなったそう。
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構ってほしくないのに構ってくる、という家族の愛情を、受け止めきれない時期があったといいます。
それでも今は家族をとても大切に思っていて、「その時期があってよかったなって思う」と話していた寛一郎さん。反抗期を経て、18歳で俳優の道を選んだのです。
【まとめ】寛一郎の大学は進学せず!ロサンゼルス留学を選んだ理由と、成城学園とされる小学校〜高校の学歴
- 寛一郎は大学には進学していないとみられる
- 成城大学への内部進学の道もあったが選ばなかった
- 高校卒業後はアメリカのロサンゼルスに短期留学した
- 俳優になる覚悟ができたのは18歳のとき
- 2017年に心が叫びたがってるんだ。とナミヤ雑貨店の奇蹟で俳優デビュー
- ナミヤ雑貨店の奇蹟で日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞
- 幼稚園から高校まで成城学園に通ったとされる
- 成城学園高校の偏差値は64ほどとされる
- 小学生のころは父・佐藤浩市の撮影現場によく出入りしていた
- 小学生のころ、塾の課外授業でアイヌの集落に2週間滞在
- 2009年の小学校の謝恩会で、佐藤浩市と三國連太郎が三谷幸喜脚本の劇を披露
- 中学時代はスラムダンクに憧れてバスケを始めたが短期間でやめた
- 中学生で観たカッコーの巣の上でやディア・ハンターに衝撃を受けた
- 高校時代は何かに没頭した経験がなかった
- 高校時代に3、4カ月の家出をし、公園に寝泊まりしていた

