モデルやタレントなどマルチに活躍し2022年7月に結婚を発表。滝沢カレンさんの母親はロシア語通訳者でバレエスタジオオーナーの宮沢さゆりさんです。
今回は、滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんの生き方や、滝沢家のエピソードについてまとめていきます。
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母親は宮沢さゆり!
滝沢カレンさんの母親はバレエ教室のオーナーであり、ロシア語通訳者でもある宮沢さゆりさんという方です。
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《宮沢さゆりプロフィール》
出身:埼玉県
出身高校:埼玉県立志木高等学校
最終学歴:日ソ学院(東京ロシア語学院)→プーシキン記念ロシア語大学
血液型:AB型
職業:バレエ教室オーナー、ロシア語の通訳者
宮沢さんは小さい頃から「バレエ」に興味がありましたが、両親に反対されできませんでした。しかしバレエへの情熱は強く、自分でお小遣いを貯め内緒で近所のバレエスタジオへ通っていたそうです。
そんなある日偶然、本場の「ボリジョイバレエ」のロミオとジュリエットを観劇したところ「これが本物?!」と直感。習っているバレエと「なんか違う」と衝撃を受けました。
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これはロシア語を学べば何かわかるかもと、滝沢さんは子どもながらもロシア語を独学で勉強し始めます。幼少期から、何かに興味を持つと周りが見えなくなるくらい没頭する性格だった宮沢さん。親から「バレエを辞めたらロシア語を習わせてあげる」と言われ、宮沢さんはロシア語を勉強する道を選ぶことに。
本場、ロシア(当時ソビエト)の地へ
高校卒業後は『東京ロシア語学院』へ入学。ロシア語を学んだ後、親に内緒で貯めた留学費用で語学留学を目的にソビエト(ソ連)に渡ります。ただ、当時は日本とロシアの国交がなかったため『バレエ留学』は不可能。どうしてもロシアの本場を知りたかった宮沢さんは、『語学留学』という抜け道を使い、なんとかソ連の地に足を付けます。
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留学中は、学校の授業よりも本場のボリジョイ劇場でバレエ公演を見てまわることに夢中だったそうです。学校そっちのけだったのにロシア語通訳として活躍していることから、きっと要領がよく頭の回転が速い人なのでしょう。
しかし結局、職業バレリーナにはなることなく帰国。のちロシアのバレエレッスン通訳に従事し、ロシア人バレエ講師に密着した「ロシアバレエレッスン」という本を1994年2月に翻訳・出版しました。
これまでの彼女を見ていくと、宮沢さゆりという女性はパワフルで行動力のある努力家という印象を受けますね。そんな宮沢さんですが、惜しくも2018年7月に56歳という若さで、がんで亡くなられています。
なお、宮沢さゆりさんはロシアに留学中に夫となるウクライナ人の男性と出会い、結婚までしています。結婚後は日本で結婚生活を送っていましたが、夫の浮気が原因で離婚。娘である滝沢カレンさんから見ても、あまり芳しくない父親だったようです。
職業は?
宮沢さんの職業は、ロシア語通訳者とバレエ教室経営をこなすキャリアウーマン。
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日本のバレエ界ではロシア語の通訳者としてとても重宝されたそうです。
宮沢さゆりさんの父が経営していた東京都港区表参道にある建築事務所が閉鎖したのを機に改装、ロシア人講師を集めてバレエスタジオ「RYABINA(リビーナ)」を開き、以降はオーナーを務めていました。
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ロシア人講師がレクチャーする本格的な「ワガノワメソッド」を学べるスタジオで、宮沢さんが亡くなったあ現在もバレエスタジオは営業しているようです。
宮沢さんのガンの病巣は情報なし
2018年7月に56歳の若さでがんでこの世を去ったことが、1年後の2019年8月6日発売のデイリー新潮で明らかになりましたが、そこでも何のガンかは公表されていません。
医者嫌いだった宮沢さん。末期のガンだとわかったのは亡くなる1年前くらいだったそうです。滝沢カレンさんは「あれだけ病院に行った方いいって言っていたのに」という発言しているので、母に何らかの身体の不調が続いていたことが伺えます。
宮沢さんの余命が長くないことを悟った滝沢カレンさんは、「体が動くうちに、ふたりの思い出をいっぱい作りたい」と母娘で出かけたりしていたようです。
宮沢さんは亡くなる直前まで滝沢カレンさんと一緒のマンションで暮らしており、カレンさんが喪主をつとめた葬儀では「またママの子で生まれてきたいからね」と涙を流してスピーチしていることからも、愛情が深かったことがわかります。
なお、カレンさんは母親が亡くなったことは公表せず、所属事務所でも一部の人にしか伝えていなかったそうです。最愛の母を無くし辛かった時期も、一切見せず気丈に笑顔で仕事をしていたことを想像すると、胸が締め付けられますね。
滝沢さんのインスタグラムは長らく更新が開いたことを報告。実際に更新頻度の高かったInstagramが途絶えた時期が3週間ほど。それが母親の亡くなった時期と重なっています。
画像参考:インスタグラム
現在は滝沢さんのSNSは更新を再開して普段の活気に満ちた状況に。以降もファンを楽しませ続けています。
滝沢カレンの家族構成は?
滝沢カレンさんは母と祖父母の4人で暮らしていました。カレンさんがお腹の中にいる時に、父の浮気が原因で両親は離婚。ウクライナ人の父親は、離婚を機にウクライナに帰国。滝沢カレンさんは一人っ子で母子家庭のなか育てられることになります。
参照:スポニチ
《滝沢カレンのプロフィール》
名前:滝沢 カレン
本名:宮沢まりな
生年月日:1992年5月13日
出身地:東京都
身長:172cm/血液型:AB型
母子家庭で実家の祖母に育てられた
バレエ教室の経営や通訳の仕事で忙しかった母親に代わり、祖父母に面倒をみてもらっていたカレンさん。カレンさんが現在、誰に対しても敬語を使うのは、厳しい祖母の教育方針が影響しています。
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小学3年生から敬語を使用していて、小学1年生の子どもにも敬語で話しかけていたカレンさん。
祖母と目が合うといつも、「お前は人間の誰よりも底辺だ」と言われ続けて育ったため、学生時代から下の学年の生徒にも敬語を使っていたとのこと。一見過激に思える祖母の言葉ですが、これはカレンさんを守るための教育方針だったのかもしれません。
過去に番組で祖母から言われた「人間の底辺」の、その後のエピソードを語っています。『最初は、祖母に対して「なんてこと言うんだ」「鬼みたいな人」と思っていた』というも、20年以上たった現在は「だから毎日こんなに楽しいんだ」「いつもなにか嬉しさがある」「人に褒められたとき嬉しさを知った」と、底辺だからこそ小さな幸せを噛みしめることができたと語っていました。
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また、祖母はまた違った形でもエールを送っています。
小学生時代にイジメを受けたていたことがあった滝沢さんの過去。11歳当時で168cmと高身長のため「ダースベーダー」というあだ名で呼ばれたり、ハーフであるという理由で「国へ帰れ」という言葉を言われたりしていたことも。
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泣きながら帰宅したカレンさんは、祖母に自分が「なんで髪が茶色いんだ」「目が茶色いんだ」と悲しみを訴えたことがありました。ある日「もう学校に行きたくない」といったところ、祖母は「大きいんだから、やり返せばいい」「コンプレックスを武器にしろ」とアドバイス。
祖母の言葉をきっかけにいじめっこの男子と戦ったところ、カレンさんが勝ってしまい、それ以降いじめはなくなっていきました。さらにカレンさんの味方が次第に増えていき、逆にカレンさんがボス的存在となったとのこと。
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まさに良薬口に苦し・・・ただ、やっぱり言われたくないアドバイスですね。
滝沢家・家訓
滝沢家には変わったルールや家訓が5つあります。
食事中の会話は一切禁止
祖母の機嫌がいい時はBGMがオペラ
肉は年に5回だけ食べる
風呂の後は生卵入りのサイダーを飲む
犬の相手ができるようにトイレのドアは閉めない
肉は年に5回の『肉』とはステーキのことを指すそうで、家族の誕生日(自分、母、祖父母)とクリスマスのみの5日だと2018年3月20日放送『ウチのガヤがすみません! 』(日本テレビ系)にて語っています。また、生卵入りのサイダーは祖母考案の飲み物とのこと(笑)食事中の会話禁止はまだわかりますが、その他は聞いた事のない変わったルールです。ただ滝沢さんのキャラだと不思議と想像できてしまいますね。
参照:エンタメRBB
おばあちゃんはモデルを目指すことに反対していた
滝沢カレンさんは、テレビドラマで竹内結子さんを見て芸能界に入りたいと決意しますが、家族にその夢を話したところ、祖母に「そんな子に育てたつもりはない!芸能界に進むなら縁を切る」「1円も持たずに家から出ていきなさい」と芸能界入りを猛反対されてします。
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それでもあきらめきれないカレンさんは、履歴書を事務所に送ったり、スカウトされるため街へ繰り出すことを継続。ある日ついにスカウトをされ芸能事務所に入ることに。このくだりは、まさに母ゆずりなのでしょう。本当に自我が強い家系ですね。 その後モデルデビューとして成功しますが、比例して祖母とは疎遠になってしまいました。
モデルやバラエティーでタレントとして活躍し始めても、祖母からの理解は得られぬまま。そのまま祖母は他界してしまったとのことで、カレンさんはこの事をとても悔やんでいたものの、遺品整理の際にカレンさんのデビュー当時の写真パネルや芸能界の思い出の品々が見つかります。
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陰ながら、カレンさんを応援してくれたというのを後から知ることができたそうで、「『おばあちゃんの家族でよかった。何回生まれ変わってもこの家族がいい』っておばあちゃんに伝えたかったです」と感謝を語っています。
母娘の4つの秘密
滝沢カレンさんと母親の宮沢さゆりさんは、実は過去に何度かテレビ番組で共演しています。テレビで母のさゆりさんが、母娘の秘密を紹介していました。
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以下そのエピソードについてまとめていきます。
父親に会ったことがない?
父親はウクライナ人とうことで、カレンさんはウクライナと日本のハーフ。カレンさんがおなかの中にいる間に、両親は離婚して父親はウクライナに帰国してしまったので父親の記憶は一切ないという現実。そんな事情を後年知らされたカレンさんは、父親とは絶対に会わないと決めたそうです。一見複雑な家庭環境ですが本人はいたってポジティブに受け止めている様子。
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両親が離婚したことについて、「超ハッピーな生き別れってやつです。知りもしない。おなかの中にいる時に生き別れ」とコメントも。母親と絆が強く、2人でハッピーに生きてこれた滝沢さんならではの発言です。
滝沢カレンの日本語がおかしい?
滝沢カレンさんは、ハーフですが東京生まれ東京育ち。滝沢さんといえば変な日本語、独特な喋り方で日本語を話すことで度々話題になっており、言葉の違和感が面白いキャラ枠として視聴者に人気な部分があります。おそらくこの違和感の理由としては、幼少期の環境が大きく影響していると思います。
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母親のロシア語通訳の仕事についていき、ロシア人と片言の日本語で会話していたり、家にたびたびロシア人が遊びに来て、カタコトのロシア人と話すうちに変な日本語になったという環境がそうさせたのでしょう。
不思議な言葉選びをする滝沢さんですが、そこが彼女の持ち味でもあります。
母に再婚予定の彼氏がいた?
2015年放送のテレビ番組「浜ちゃんが!」にて、カレンさんが母・宮沢さゆりさんにウクライナ人の新彼氏がいると発言。
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カレンさんによると宮沢さんは、彼氏と、さらにゲイの男性との三角関係になっているとのこと。ちなみにその新彼氏との再婚の予定があったかどうかについては、それらしい情報は見つかりませんでした。
なお、ウクライナではロシア語が普及しているので、ロシア語通訳者の宮沢さんは彼氏とのコミュニケーションには全く困らなかったと思われます。
スパルタ教育!
2017年テレビ番組「誰だって波瀾爆笑」にて母親と共演したカレンさん。番組の中で、3~14歳の11年間、バレエの英才教育を受けていたと話しています。
その英才教育というのは、バレエ教室を3カ所掛け持ちし水曜日以外は毎日バレエレッスンに通っていたり、土曜日は整体に通い、身長を伸ばすために足を引っ張る施術をされていたりしたとのこと。
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カレンさんを本気でプロのバレリーナにしようという母のスパルタぶりがうかがえます。ただ、これは母・宮沢さんがかつて目指していたバレリーナの夢を子どもに託したかったのかもしれません。
滝沢さんによると、「母は髪を毎回のように切る人」、「テーブルマナーが厳しかった」と語っています。食事は基本的に和食ばかりで、食事中にはオペラが流れていたと話し、滝沢家そのものがどこか不思議な空間であったことがわかりますね。
まとめ
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以上、滝沢カレンさんの母・宮沢さゆりさんを中心に、カレンさんの家族についてまとめました。
・ロシア語通訳者でバレエスタジオのオーナーを務めている。
・宮沢さゆりさんは2018年にガンで他界。娘の滝沢カレンさんは「あなたの娘で良かった」と話している
・滝沢カレンさんの幼少期はバレエのスパルタ教育だった。おそらく母・宮沢さゆりさんの夢を託されてのことだったと思われる
・結局バレエの仕事はしていないものの、バイタリティは相当鍛え上げられた様子。