グラビアからバラエティ、そして今や主演ドラマを任される実力派女優になった小池栄子さん。実家はお金持ちだったと聞くけれど、本当なのか、どんな子供時代だったのか気になっている方も多いはず。
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記事のポイント
- 実家は祖父が築いた家業で、とても裕福だった
- 中学生のころ、家業が傾き暮らしが一変
- 芸能界入りのきっかけは家業を助けたい気持ち
- 不本意なグラビアから実力派女優になった
小池栄子の実家は金持ち!裕福だった根拠
- 実家は祖父が創業した下北沢のパチンコ店
- 祖父は長野でレジャー施設も経営、年商9億円
- 店の床は透ける建材、ワニも飼っていた
- 小遣いに困らず、タクシー通学も
- 中学から私立の和洋九段女子へ
- 中学生のころに父が倒れ、家業が傾いた
実家は祖父が創業した下北沢のパチンコ店
小池栄子さんの実家は、祖父が創業した東京・下北沢のパチンコ店です。幼いころ、実家はこのパチンコ店を営んでいて、小池栄子さんも下北沢で生まれ育ちました。

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祖父の代から続く家業で、のちにお父さんが店を継いだ形。
おしゃれ街として知られる下北沢で、駅の近くにお店を構えていたとされる家。それだけでも、お金持ちと言われるのは納得です。
パチンコ店は、のちにゲームセンターに姿を変えたのだとか。
祖父は長野でレジャー施設も経営、年商9億円
祖父の事業は、一時は年商9億円にもなっていました。
下北沢のパチンコ店に加えて、長野県内ではレジャー施設も経営していたそう。
女性自身の2023年11月の記事によると、祖父は会社を年商9億円の企業にまで育てたといいます。
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東京と長野に事業を持つ実業家の孫娘。実家が金持ちと言われる、いちばんの根拠と言えるでしょう。
店の床は透ける建材、ワニも飼っていた
祖父のパチンコ店には、透ける建材の床やワニまであったそうです。
床板に透ける建材を使ったのは、祖父の趣味だったのだとか。
さらに、お店ではワニも飼われていたといいます。
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普通の家では考えられないこだわりの数々。お金に余裕があったからこそできた遊び心なのでしょう。
小遣いに困らず、タクシー通学も
子供のころの小池栄子さんは、お小遣いに困ったことがなく、タクシーで通学することも多かったそうです。
アルバイトをしたのは、なんとたったの5時間だけ。
その理由について本人は、「アルバイトをする理由もなかったし、その分を遊ぶ時間に充てたかったから」と話しています。
学校までタクシーで通うのも、お小遣いの心配がないのも、普通の家庭ではなかなかない話。
お嬢様と呼ばれるのも、うなずけます。
中学から私立の和洋九段女子へ
小池栄子さんは、中学から私立の和洋九段女子中学校に通っていました。
小学校は地元の世田谷区立代沢小学校。その後、中高一貫の和洋九段女子中学校・高等学校に進み、高校まで卒業しています。
私立の中高一貫校に6年間通わせるには、それなりの学費がかかるもの。
小学校から習い事でモダンバレエを続けていたという話もあり、教育やお稽古ごとにお金をかけられる家だったことがわかります。
中学生のころに父が倒れ、家業が傾いた
ところが、小池栄子さんが中学生になったころ、家業を継いだ父親が病気で倒れ、経営が傾いてしまいます。
長野のレジャー施設は閉業し、下北沢の自社ビルも人手に渡ることになったそう。
あまりの環境の変化に、小池栄子さんは大きなショックを受けたといいます。
裕福だった家の暮らしが、思春期に一変したことに。
それでも、和洋九段女子には高校卒業まで通い続けました。この経験が、のちの芸能界入りの大きなきっかけに。
小池栄子の生い立ち
- さまざまな人が出入りする家で育った
- 中1から高3まで創作ダンス部に打ち込んだ
- 保育士志望から、15歳で雑誌に登場しスカウト
- 芸能界入りの本音は「私が稼いで食わしたる」
- 女優志望なのに水着グラビア、「社長に騙された」
- 独立して個人事務所を設立、実力派女優に
さまざまな人が出入りする家で育った
小池栄子さんは、さまざまな人が出入りする家で育ちました。
1980年11月20日、東京都世田谷区下北沢の生まれ。VOGUE JAPANの取材では、「自営業だった実家の商売が、職種も立場も国籍も年齢もさまざまな人が出入りする環境だったんです」と話しています。
さらに、「両親が誰とでも同じように接している背中を見てきました」とも。
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お金持ちの家というだけでなく、人との接し方を自然と学べる家だったのでしょう。
中1から高3まで創作ダンス部に打ち込んだ
和洋九段女子では、中学1年から高校3年まで創作ダンス部に所属していました。
中学受験の前に行われた学校説明会で、創作ダンス部の実演に心をつかまれたのが、この学校を選んだきっかけだったそう。
6年間、ダンスに明け暮れる毎日だったといいます。
のちにテレビの社交ダンス企画でも実力を見せ、2005年にはイギリスのブラックプールダンスフェスティバルに出場したほど。
学生時代に積み重ねたダンスの経験は、大人になっても生きています。
保育士志望から、15歳で雑誌に登場しスカウト
小池栄子さんは、もともと保育士を目指していました。
ところが15歳のとき、雑誌のホットドッグ・プレスや、日本テレビの1億人の大質問!?笑ってコラえて!に登場して注目を集めることに。
そこで声をかけたのが、芸能事務所イエローキャブの野田義治社長でした。
高校生のうちにスカウトされ、芸能界へ。保育士とはまったく違う道を歩き始めることになります。
芸能界入りの本音は「私が稼いで食わしたる」
芸能界に入った理由について、小池栄子さんは家業を助けたい気持ちがあったと明かしています。
2023年10月放送のおしゃれクリップでは、「入るきっかけは全然きれいな話じゃなくて。親の家業があんまりうまくいってなくて……」と告白。
「“芸能界ドリーム”みたいなものを夢見て。“よっしゃ私が稼いで食わしたる!”みたいな。一獲千金狙って入ってみたんです」と笑顔で振り返りました。
傾いた家業を、自分の力で支えようとした高校生。
お嬢様として育ちながら、いざというときに腹をくくれる強さは、このころからあったのでしょう。
女優志望なのに水着グラビア、「社長に騙された」
小池栄子さんは、もともと女優志望でした。
ところが、最初のドラマ出演のあとのオーディションで「そんなに太っていたら映像には使えない」と言われ、次の仕事がなかなか決まらなかったそう。
スカウトのときは水着グラビアはやらないという約束だったため、当時は「社長に騙された」と思ったのだとか。
高校からは水着の仕事にクレームが入り、卒業までの1年間は水着の仕事を控えていたと、野田社長が明かしています。
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独立して個人事務所を設立、実力派女優に
小池栄子さんは2015年2月に独立し、個人事務所を設立しました。

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グラビアからバラエティへ、そして女優として演技力が評価されるように。
2024年には、仲野太賀さんとW主演したドラマ、新宿野戦病院でアメリカ国籍の軍医を演じ、話題を集めました。
実家の家業が傾いたことをきっかけに飛び込んだ芸能界で、自分の力で道を切り開いてきた小池栄子さん。
お嬢様から一転した生い立ちが、今の芯の強さにつながっているのかもしれません。
【まとめ】小池栄子の実家は金持ち!祖父のパチンコ店は年商9億円、ワニを飼うお嬢様から一転した生い立ち
- 小池栄子の実家は、祖父が創業した下北沢のパチンコ店
- 祖父は長野県内でレジャー施設も経営し、一時は年商9億円
- パチンコ店の床は透ける建材で、ワニも飼っていた
- お小遣いに困らず、タクシーで通学することも多かった
- アルバイトの経験はわずか5時間
- 中学から私立の和洋九段女子中学校・高等学校に通った
- 中学生のころ、家業を継いだ父が病気で倒れ経営不振に
- 長野のレジャー施設は閉業し、下北沢の自社ビルも手放した
- パチンコ店はのちにゲームセンターに変わった
- さまざまな人が出入りする家で、誰とでも同じように接する両親を見て育った
- 中1から高3まで創作ダンス部に所属
- 保育士志望だったが、15歳で雑誌に登場し野田義治社長にスカウトされた
- 2023年のおしゃれクリップで、家業を助けたくて芸能界に入ったと告白
- 女優志望だったが、仕方なく水着グラビアを始めた
- 2015年に独立し、個人事務所を設立

