今回は、柳俊太郎さんの父親にまつわるエピソードについてまとめていきます。
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柳俊太郎の父親は一般人のため、情報がほとんど出てきていない
画像参考:シネマトゥデイ
柳俊太郎さんの父親に関する情報は、プライバシーのためか、ほとんど公開されていません。
ただ、いくつかの情報から、父親と柳さんの関係や、柳さんの芸能活動に対する考え方が見えてきます。
まず、柳さんの父親はコンビニのオーナーとして働いているようです。ボクらの時代にゲスト出演した柳さん。モデルデビュー時の父親の反応について「うちの実家はコンビニで、母が店長、父がオーナーなんだ。嬉しいんじゃない、メンノンに載るなんて…(コンビニに並んでいるのを見て)」。
画像参考:シネマカフェ
この言葉から、息子として晴れ晴れとした気分だったことでしょうが、柳さんの父親も、自分の経営するコンビニに息子が載った雑誌が並ぶことを喜んだことでしょう。息子の活動を誇りに思い、嬉々として棚に並べた姿が浮かんできますね。
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柳俊太郎の父親の職業はコンビニのオーナー!
画像参考:yahoo画像検索
柳さんがさらりと明かしましたが、柳俊太郎さんの父親は、コンビニエンスストアのオーナー。父親がオーナー、母親が店長として、家族経営でお店を運営しているようですね。残念ながら、コンビニオーナーになった具体的なきっかけや経緯については、特に明かされたエピソードは無いようです。
具体的な店舗の場所は公表されていませんが、宮城県仙台市に位置していつウワサがありますが、大手のチェーン店か地域密着型の店舗か、また、どのチェーンのコンビニかは明らかではありません。とはいえ、コンビニを経営していることから、一定の経済的な基盤があると予想されています。
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柳俊太郎の家族構成は5人!
画像参考:mantan-web
柳俊太郎さんの出身は宮城県仙台市。また、5人家族です。
家族の構成は以下の通りで、本人いわく「ザ・普通」な5人家族だそうです。
・父親
・母親
・姉2人
・そして柳さん本人
柳さんは3人兄弟の末っ子で、長男として生まれました。
幼少期の柳さんは、家族の中では明るい性格でしたが、外に出ると内気傾向になる子供だったとか。もしかすると、もともと人見知りの一面があったのかもしれませんね。
また、4歳の頃、母親と神社で散歩中に知らない男性から「なんだ、坊や。不貞腐れた顔して!」と言われたことがありました。いきなり、そしてあまりにもな言葉に、お母さんも言い返すことはできなかったんだそう。
画像参考:パルコ
この出来事で、母親の凄く傷ついた様子を見た柳さんは、自分の表情に対してコンプレックスを抱くようになり、写真を撮られることが苦手になっていきました。
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柳俊太郎の父親の人柄は温厚
画像参考:オリコンニュース
柳俊太郎さんのモデル活動や芸能界への道に進むことを、父親は反対せず、温かく見守っていたようです。『メンズノンノ』のモデルオーディションに合格した際、父親は心から喜んでいたことでしょう。
特に、父親がコンビニエンスストアのオーナーであるため、その時から息子の雑誌を自分の店に置くことを楽しみにしていたのではないかと考えられます。
前述したように、柳俊太郎さん自身も、バラエティ番組『ボクらの時代』にてこのエピソードを振り返り、「嬉しいじゃん、メンノンがこう…(コンビニに並んで)」と父親の気持ちを代弁しています。
画像参考:YouTube
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柳俊太郎の家系は武士道精神を重視!
画像参考:メンズノンノ
柳俊太郎さんの家族は純日本人の家系であり、宮城県市の出身。
先祖は仙台伊達藩で剣術の道場を開いていたという話もされており、そこでは挨拶を重んじる、天狗にならない・・・など、「武士の精神」を長く学んだと回答も。なお、「柳」という苗字は本来「栁」と表記されるそうです。
画像参考:vogue
そして、彼自身もその精神をファッションにも活かし、相手に不快感を与えているようならその人の意見を聞き入れ、次に会う時には直すようにしているといいます。
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柳俊太郎の芸能デビューは骨折がキッカケだった!?
画像参考:yahoo画像検索
柳俊太郎さんの芸能界デビューは、予想外の出来事と、家族の支えでできていました。
柳さんは高校時代、バレーボール部に所属していましたが、重要な大会の直前に大ケガを経験。そして試合の結果も決勝で惜しくも敗退してしまったんだそう。「宮城県大会の決勝で負けてしまい、出場できなかったんです。その大会の前に左足を複雑骨折してしまって、試合の時は松葉杖を使っていました。本当に悔しかったです。」過去のインタビューで、そう答えた柳さん。柳さんは大切な試合に出られず、深い挫折感を味わいました。
しかし、この骨折が思いがけない転機をもたらすことになります。
「部活ができないから暇で、家で寝ているときに映画を観たり、新しい音楽に出会ったりしました。それがきっかけで『メンズノンノ』のモデルになったんです。本当に感謝しています、折れてよかったと思っています(笑)」怪我によって活動が制限された柳さんは、自宅での時間を通じて新たな興味を見つけていきました。
画像参考:マイナビ
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姉の提案でオーディションに応募することに
画像参考:メンズノンノ
柳さんが骨折してからどうなったかというと、柳さんの家族、特にお姉さんの提案から動き始めます。「あんたは背が高いし、勉強もできるんだから、メンズノンノのモデルに応募してみたらどう?」とお姉さんとそのお友達。
僕、バレーボール部にいて、最後の大会で左足のすねを骨折して出れなかったんですよ。
結局、県準優勝だったんですけど全国大会には行けなくて。
出れなかったことで燃え尽きなくて。それで、その時たまたま、母と姉がメンズノンノの読者だったんですよ。
「あんた身長高いんだし、別に勉強ができるわけでもないんだから、ちょっと応募だけしてみなさいよ。
写真は私たちが撮って書類も私たちが書くから。写真撮らせて!」って言われて、
「じゃあいいよ」って。それがたまたま編集者の目に止まって、デビューすることになったんすけど。
柳さんも基本的には目立ちたがり屋な性格に変わっていたようで、ノリで受けてみたんだとか。何がキッカケになるか、本当に分かりませんね。
前述したように、幼少期に知らないおじさんから「なんだ坊主、ふてくされた顔して!」と言われた経験。
写真を撮られることが苦手だった柳さんは、まさか自分がモデルになって写真を撮りまくられることになるとは、思ってもみなかったことでしょうね。
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