今回は、俳優・寺脇康文さんの弟・博之さんにまつわるエピソードについてまとめていきます。
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寺脇康文の弟はお医者さん!
俳優・寺脇康文さんの弟は、寺脇博之(てらわき-ひろゆき)さん。現在、医師として活躍されています。
画像参考:yahoo画像検索
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博之さんは1991年に岐阜大学医学部を卒業し、医師としての道を歩み始めました。卒業後すぐに聖路加国際病院で内科系のレジデントとして勤務し、若手医師としての情熱を持って取り組んでいたそうです。
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医師としての経歴がスゴい!
1994年10月には、同病院の内科チーフになり、医師としての優れた能力が評価されたことが窺えますね。チーフということで、他の若手医師の指導にも力を入れていたことでしょう。
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その後、彼は東京慈恵会医科大学の腎臓・高血圧内科で講師をしながら、腎臓内科の専門知識と技術を磨いていきました。
2015年4月には福島県立医科大学の人工透析センター部長・准教授になり、人工透析の分野で重要な役割を担っていたと考えられます。患者の生命を支える治療法として、博之さんはこの分野のエキスパートとして認められていたことでしょう。
2017年5月には、帝京大学ちば総合医療センターの第三内科(腎臓内科)教授・腎センター長に就任し、腎臓内科の分野で高い評価を受けていました。教授として後進の指導や研究にも力を注いでいたと思われます。
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年収は3000万超えか!?
弟・博之さんの具体的な給与についての情報は公開されていないため、当然ながら非公開となっています。医師の給与は職位や勤務先、専門分野によって大きく異なりますが、彼はは病院の臨床検査部長という重要な役職に就き、また帝京大学医学部の客員教授も務めています。
ネット上では3000万以上という話もありますが、実際のところは不明です。
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現在は病院の部長さん
2023年4月、寺脇博之氏は聖路加国際病院の臨床検査部長に就任しました。この役職は、臨床検査科全体の責任を担う重要なもので、講座の客員教授としても活動しています。
同病院の臨床検査科には、約90名の国家資格を持つ臨床検査技師、看護師、医師が在籍しているそうで、寺脇部長は、この大規模な部門の統括責任者として、検体検査、生理機能検査、輸血検査業務全般を指導しています。
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なお、具体的な業務内容には以下となっていますが、やはりこう見てみると重鎮ポジションであることが窺えますね。
①検体検査:血液や尿、その他の体液の分析、病原菌の検査を統括。
②生理機能検査:心電図、脳波、超音波検査など、生体機能を評価する検査の管理。
③血液検査:安全な輸血療法のための血液型検査や輸血製剤の管理。
④部門全体の運営:90名以上の職員の管理や、検査の質の向上。
➄臨床各科との連携:最新の医学知識を共有するための勉強会を開催。
このように、寺脇博之さんは臨床検査科の責任者として、日々の検査業務の統括と、部門間の連携強化や医療の質の向上にも積極的に取り組んでいるようです。
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寺脇康文の弟・博之さんは論文も発表
寺脇博之さんは腎臓内科の専門家。特に人工透析と慢性腎臓病の治療と研究に注力しているとか。
1991年に岐阜大学医学部を卒業し、聖路加国際病院で内科としてのキャリアをスタートさせた際、腎臓に対する関心が芽生えたようです。
寺脇博之の研究成果の1つとして、2022年に発表された論文「千葉県市原市内基幹病院管理栄養士グループによる糖尿病腎症・CKD重症化予防の取り組みと今後の課題」というものがあります。
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この論文では、地域の病院と協力し、糖尿病腎症の重症化を防ぐための取り組みが行われ、その効果を検証。この活動は地域医療の向上に大きく寄与したと評価されています。
現在、聖路加国際病院の臨床検査部長として、寺脇博之は最新の検査技術を駆使し、腎機能の評価や早期診断に関する研究に取り組んでいるそう。正確な治療に結びつくことを目指し、日々努力を重ねています。
さらに、寺脇博之は若手医師の育成にも力を入れており、腎臓内科を志す研修医たちに対して、丁寧な指導を行っているようです。彼の深い知識と豊富な臨床経験に感銘を受けている研修医も多いようです。
寺脇康文と弟・博之さんは自分の場所で活躍している
寺脇康文さんは1962年2月25日に生まれた俳優で、1984年に劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」に参加し、俳優としての道を歩み始めました。
当時、彼は父の会社を継ぐことが期待されていましたが、「10年だけ挑戦させてほしい」との思いを持ち、俳優の道に挑戦することになります。
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一方、弟の寺脇博之さんは1991年に岐阜大学医学部を卒業し、医師としてのキャリアをスタートさせました。康文さんが俳優として活動を始めた頃、博之さんは医学生として勉強に励んでいたことになります。
康文さんが成功を収めていた1996年には、TBSの「王様のブランチ」で総合司会を務めていました。この時期、博之さんは医師としての経験を積み始めた頃だったと考えられます。
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2000年には、康文さんが『相棒』シリーズで亀山薫役を演じ始め、一躍人気俳優に。
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同じ頃、博之さんも腎臓内科の医師としてのキャリアを目指していたことでしょう。
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2008年には、康文さんの演技が評価され、第16回橋田賞の俳優部門を受賞しました。翌年の2009年には日本アカデミー賞優秀助演賞も受賞し、彼のキャリアはさらに充実していきました。
2015年頃には、康文さんがドラマや映画で活躍を続ける一方で、弟の博之さんは福島県立医科大学の人工透析センター部長・准教授に就任し、医療分野で重要な役割を果たすようになりました。
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このように、寺脇兄弟は異なる分野でそれぞれの成功を収めています。康文は俳優として日本の演技界で輝き、博之は医師として日本の医療の進展に寄与。職業選択は異なりますが、どちらもそれぞれの分野で高い評価を得ている点では共通していますね。
寺脇家の子どもは5人だった?
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寺脇家は、寺脇康文さん含む5人兄弟で構成されており、2人の姉と1人の弟がいるようです。
ネット情報では4人きょうだいという情報がありますが、康文さんのインタビューにて「5人の子どもの中で」という話があるので、もう1人子供がいる可能性が高いです。
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・長女
・次女
・寺脇康文さん(長男・俳優)
・寺脇博之さん(次男・医者)
・もう1人子供がいる?
寺脇康文さんは1962年2月25日に大阪府堺市で生まれ、長男として育ちました。幼少期には甘えん坊で、幼稚園の頃にはお姉さんに添い寝をしてもらっていたという心温まるエピソードがあります。小学生の頃、康文さんはクラスの中心的な存在で、周囲の注目を集めることや人を笑わせることが大好きだったとか。将来の夢には「スターか漫画家」といった希望をもっていたといいます。彼の個性的な性格がこの時期に形成されていたことが窺えますね。
また、弟の寺脇博之さんは、康文より約4歳年下。1966年か1967年に生まれたと考えられています。博之さんは康文さんとは対照的に、静かで真面目な性格を持っていたそうです。
寺脇康文と弟・博之さんの外見と性格は真反対!
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寺脇康文は、俳優としてのキャリアの中で、若い頃から年齢よりも若く見える外見が際立っていました。特に『相棒』に出演していた時期には、実年齢よりもずっと若々しい印象を与えていました。彼の外見は役柄によって変わることもありましたが、常に自分のスタイルを大切にしていました。
性格面では、康文はおしゃべりでユーモアを交えた一面があり、エピソードを語る際には、自分の願望を反映させたドラマのような話し方をすることがありました。これは彼の情熱を示すものであり、熱が入り過ぎてスタッフと衝突。その結果として『相棒』を降板することになったこともあります。
逆に、弟の博之さんは静かで真面目な性格を持っていました。医学生時代からの勉学に対する姿勢は高く評価されており、患者や同僚からも信頼が寄せられています。博之さんは兄とは異なり、自分の意見を強く主張することは少なく、周囲との調和を重んじるタイプだったそう。若手医師の育成にも力を入れており、自身の経験を基に丁寧な指導を行っているようです。
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寺脇兄弟は外見においては似ている点があるものの、性格や職業の選択においては大きな違いがありますね。康文は情熱的でおしゃべりな俳優として知られ、一方の博之は静かで真面目な医師として高く評価されています。
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寺脇家は7人家族だった?
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彼の家族はおそらく7人で構成されており、父親、母親、2人の姉、康文、そして弟の寺脇博之さん、さらにもう1人の子どもがいたとされています。
さて、寺脇康文さんは大阪府堺市で生まれますが、その後は一家で岐阜県に移り住むことに。
岐阜市立長良小学校に通い、地元の学校で学びました。
父親について
父親は美術品の輸入販売を辞めて「寺脇商事」を経営していた様子。彼は豪快で短気な一面もありましたが「楽しい生活を最優先」を信条にしていて、家族との仲はおおむね良かったとされています。
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父親の仕事の特性上、美術品が売れると大きな利益が入ることがあり、その際には散財することもあったとか。
康文さんが俳優として成功を収めると、父親は彼の一番のファンとなり、劇団の公演で僕が端役で出てもいつも見に来てほめてくれた、というエピソードも残っています。
親父を反面教師にしていた部分も
ただ、父親はその性格からか子供っぽいところや強引なところもあり、ルールを無視して怒鳴り散らしたりすることも。そんな父を見て、康文さんは反面教師としていた面もあったようです。
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またある日、康文が学校から帰ると、両親が突然旅行の準備をしている姿に出くわします。翌日から康文さんと兄弟は旅行のために学校を休むことになったそうです。康文さんが「明日も学校がある」と伝えると、父は「ええがな。休め」と返したんだとか。このエピソードは、寺脇家の自由で活気ある雰囲気をよく表していますね。
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母はすし職人だった!
母親については、一般人のためか詳細な話は出てきません。ただ、母親は寿司職人として働いていたそうです。
当時、寿司職人の世界は男性が主導するものでしたが、母親はその中で堂々と活躍しており、
康文さんは「キリッとかっこよかった」と振り返っています。