【書類送検された過去】ほんわかシェフ・三國清三が過去に暴力を行ったのは『そういう時代』だったから

世界が認めるフランス料理人の三國清三さん。その評価は非常に高く、本場フランスのコックも頭を抱えるほど。今現在はYou Tubeチャンネルを持っており、優しそうでほんわかした三國シェフが見られると注目されています。

実は暴力で書類送検された過去がありますが、職人質と時代の変化も関係しているのかもしれません。

今回は、三國清三さんの過去と暴力についてまとめていきます。

三國清三が暴力疑惑で書類送検されていた

今から約20年前の2006年7月5日、ホテルの従業員を殴った暴行の容疑で三國清三さんが書類送検されたと報道されました。なお、三國清三さんは書類送検はされたものの逮捕まではされていません。

画像参考:産経

事件当日に四谷署に被害届を提出されたことで発覚しましたが、訴えた社員は一般人のため、特に公表はされていません。

会社の男性社員は電話の受話器が顔に当たり、さらに殴られて1~2週間の怪我を負ったそうです。

暴力の理由は「仕事が遅いから」

事件当日の2006年7月1日午後、会議室で男性社員と打ち合わせ中に、仕事が遅いことにイライラを募らせたことが理由だったそうです。

「仕事が進んでいないことに腹が立った」と話し、「教育的指導のつもりだった。弁解の余地はない」と話していましたが、三國清三さんは報道により大きくバッシングを受けました。

もしかすると今のYoutubeにいる優しそうな三國清三さんは、この出来事への反省があるからかもしれませんね。

画像参考:yahoo画像検索

気に入らなければボコボコにするのが普通?

擁護するわけではありませんが、世代的に体罰の環境で育った背景があるのかもしれません。

画像参考:TVアサヒ

三國清三さんは1969年、昭和44年の中学卒業後、夜間の調理学校に通うところから料理人のキャリアをスタート。

「その環境が当たり前だった」と言うのは簡単ですが、歴代の暴力を容認していた先輩も含め言い訳にしかならないでしょう。

事件で書類送検された当時も、厳しいコメントが続いていました。

画像参考:yahoo知恵袋

レストランが閉店した原因というのはデマ

2006年の書類送検のあとに、レストランの閉店を余儀なくされたという噂もありますが、それはデマです。1985年のスタートから37年間、2022年まで営業は続いていました。

実際に三國清三さんのレストラン「オテル・ドゥ・ミクニ」が閉店したのは2022年12月28日と、だいぶ後のことです。

画像参考:アサヒ

閉店と同時に三國清三さんの引退が囁かれましたが、引退どころか心機一転、カウンター8席の小さなレストランをオープンする方針でした。

三國清三さんにとって「料理人としての新時代の幕開け」とも明かしており、周囲から「今までがもったいない」と言われながらも決断したそうです。

オープンする理由は以下となっています。

・70歳でゼロからの再出発は無理という料理人の世界に一石を投じたい
・後輩のために80歳まで現役であり続けたい。
・『80歳まで人のために料理を作れ』と言った恩人への返答

画像参考:ZAKZAK

また、この件をきっかけに「離婚したのでは」という噂についても完全なデマです。お店が食中毒で問題になった時も、奥さんは励まして支えてくれたようで、現在も離婚したという情報はありません。

料理人は怒りっぽい?

料理人以外にも職人や匠と呼ばれる人の中には、非常に怒りっぽい、気が荒いというイメージがあります。そういった疑問をもつ人は少なくないようですね。

考えられる理由は、おおよそ以下の4つです。

①ワンマン経営者だから独裁状態になる
②人に出す料理はかなり神経を使う
③教育は怒ることが正しいと思っているから
④苦労して覚えたことを教えたくないから意地悪する

yahoo知恵袋ですが、一部抜粋します。

画像参考:yahoo知恵袋

料理の完成において、その店の料理長が一番早くておいしいのは当然で。
その人に倣うべきとは思いますが、殴って辞めさせてしまうなど後継に失敗して一代で終わるのは目も当てられません。

これからの時代の移り変わりで変化は起こっていくと思われますが、暴行や恫喝を経た成長を正しいと迎えるのは早く止まってほしいものですね。

三國シェフが作った環境

三國清三さんは過去に何度もメディアに取り上げられており、20年ほど前の彼の姿を動画で見つけることができました。キッチンは全員息が揃っていて、スムーズに料理ができ、お客の元へ運ばれていきます。

画像参考:yahoo画像検索

画像参考:yahoo画像検索

しかし番組の途中、ミスをしたスタッフに平手打ちをしている様子がありました。

後日、このミスがテレビの演出だと明かしているようですが、テレビ側が最初から狙っていた『取れ高』だったようです。まさに時代を象徴した演出だったといえるでしょう。

 

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