今回は、俳優・坂東龍汰さんの父親にまつわるエピソードについてまとめていきます。
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坂東龍汰の父親はメチャクチャ破天荒だった!?
坂東龍汰さんの父親である坂東剛さんは、ユニークで自由な生き方をしている方です。
19歳の時に映画監督を目指してカリフォルニアに渡り、その後ニューヨークで歯科技工士の会社を立ち上げて、約11年間働きました。ニューヨークで陶芸の先生をしていた坂東龍汰さんの母親と出会い、結婚しました。
画像参考:yahoo画像検索
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坂東龍汰さんが3歳の頃、父親は突然「農業しよう!自給自足だ!」と言い出し、家族で北海道に移住。
坂東龍汰さん自身が父親のことを「破天荒」と表現しているように、父親は好奇心旺盛で「やりたいことを追求する」タイプの人物です。
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このような自由な生き方や考え方が、坂東龍汰さんの多趣味な性格や芸術的な感性に影響を与えていると言えます。俳優として道を歩むきっかけにもなったと考えられますね。
ぶどうワイン製造工場を経営
坂東龍汰さんの父親、坂東剛さんは「仲洞爺バイオダイナミックファーム」というワイナリーを経営しています。
このワイナリーでは、バイオダイナミック農法を用いてブドウを栽培し、そのブドウを使ってワインを製造しているそうです。
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坂東剛さんは、最初からワイナリー経営を目指していたわけではありません。
19歳の時に映画監督になる夢を目指してカリフォルニアに渡りましたが、その後の歩みは厳しく、ニューヨークで歯科技工士の会社を立ち上げて約11年間働くことになります。その後、1998年に日本に帰国し、北海道に移住。人智学共同体ひびきの村でボランティア活動をする傍ら、バイオダイナミック農法を学んだそうです。
坂東剛さんは現在、自然との調和を重視した農業を実践しており、その理念は彼の教育方針にも影響を与えています。
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自由過ぎる。。。でも、ここまで行動力がある人も珍しいですよね。成功させていることからも、経営者としてスゴ腕なのでしょう。
坂東龍汰の父親はシュタイナー教育を受けていた?
画像参考:シネマトゥデイ
坂東龍汰さんが通った学校では、「シュタイナー教育」を基本方針だったといいます。
テストなどで優劣をつけず、子どもの個性を重視しながら伸ばすことのが特徴だそう。発達段階に合わせ、焦らずに人間力を養う環境を整えて、子ども自身が持つ本来の可能性を狙ったものでしょう。
坂東龍汰さんの父親、坂東剛さんがそういった教育方針を受けていたかどうかはわかりません。ただ、父親はシュタイナー教育に強い関心を持ち、息子の龍汰さんにその教育を受けさせたことは事実のようです。
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結果として、坂東龍汰さんは小学校から高校までその学校に通いました。息子にその教育を配慮することで、独自の価値観や感性を育てることを重視しているようです。
坂東龍汰と父親との叱咤激励のエピソード
画像参考:モデルプレス
坂東龍汰さんと父親のエピソードには、役者としての道を決意する際の厳しい言葉が含まれています。
坂東雅高校3年生の時、「役者になりたい」と家族に宣言したところ、父親は「君は大きい壁にぶち当たって北海道に戻ってくることになるぞ!」と皆の前で放言したそうです。その後、高校を卒業したらすぐに進学し、役者として道を歩み始めました。
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父親の厳しい言葉は、実は息子への心配からのものであり、芸能界の厳しさを予見する父親としての思いが込められていたのでしょう。
坂東さん自身も、父親への反抗心が自分のエネルギーとなり、現在の成功につながっているとか。このエピソードからは、父親の厳しさと愛情、同時に坂東龍汰さんの強い意志や継続力が窺えますね。
ネットもテレビも禁止だった
坂東さんは親の教育方針からか、ネットもテレビも見るのを制限されていました。
しかし、彼が中学2年生の頃、ついに週末にレンタルビデオ店で映画を1本借りて見ることが許可されるようになります。これは坂東さんにとって大きな楽しみであり、映画への興味を育む機会となりました。映画の選択は主に父親によるセレクト。特に初期は、暴力的なシーンのない作品が選ばれていたそう。
父親が熱狂的な黒澤明ファンだったので、坂東さんは黒澤作品を「強制的」に 「全て観せられた」と冗談交じりに行っています。ただ、そこは世界のクロサワ。坂東さんの芸術的感性や演技への興味を育んだことでしょう。
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坂東龍汰がNY生まれなのは父と母の思い出の場所だったから!
坂東龍汰さんのプロフィールを見て、まず最初に目が留まるところは、出生地の『アメリカ合衆国・ニューヨーク市』という部分ではないでしょうか。
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父親の坂東剛さんは、映画監督を目指してアメリカに渡ります。残念ながら夢は叶わなかったもの、日本に戻ることなくニューヨークで歯科技工士の会社を立ち上げるという新たな挑戦をしました。この行動力は、非常に見習いたいものですね。
一方、母親は日本ではなくニューヨークで陶芸を教えていたそうです。なぜアメリカで陶芸の道を進んでいたのか、その理由は明確ではありませんが、海外で自分の腕を磨いておきたいという思いがあったのかもしれません。もしかすると日本と外国、文化交流の一端を担っていた可能性もあります。
このような国際的な背景を持つ両親のもとで生まれ育った坂東龍汰さん。育った場所は北海道でも、生まれはニューヨークだったのは、両親が出会った場所だったからといえます。
ちなみに、以下の画像は当時1歳の坂東さんです。可愛らしいですね。
画像参考:yahoo画像検索
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坂東龍汰さんの出身小学校や中学校は北海道虻田郡豊浦町にありますが、実家は伊達市にあるようです。剛さんが経営する「仲洞爺バイオダイナミックファーム」の所在地も近くにあります。
坂東龍汰の家族構成は5人!
画像参考:TVlife
坂東龍汰さんの家族構成は5人家族で、以下のようになっています:
父親:坂東剛(ばんどうたけし)さん
母親:陶芸家
姉
坂東龍汰さん本人
弟
以降、順に見ていきましょう。
母親は陶芸の道を進んでいた
坂東龍汰さんの母親については、あまり詳細が語られていません。
お名前は不明ですが、一時期陶芸家として活動していたようです。母親は陶芸家としての経験から、漆塗りの器に対して厳しい目を持っているんだとか。現在、母親は夫とともに北海道のワイナリーで働いています。主婦であり、共働きでもある、ということになりますね。
ニューヨークで陶芸の先生をしていたところに、坂東龍汰さんの父親である坂東剛さんと出会い、結婚しました。坂東龍汰さんから見ても、「母親も変わっている」とのことで、家族が全員それぞれのやりたいことを追求する人たちなのでしょう。
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姉は憧れの存在だった?
坂東龍汰さんには2歳上の姉がいます。
具体的には語られていませんが、彼女は坂東龍汰さんにとって憧れの存在であり、同時に彼の人生に大きな影響を与えた人だそう。
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姉の持っていた漫画を読んだことは、今の仕事を始めるキッカケとなっているんだとか。もしもっとエピソードがあるようなら、ここに追記していこうと思います。
弟とは年齢が離れている
坂東龍汰さんには年が離れた弟がいるそうです。
父親が経営していると推測されるワイナリー「仲洞爺バイオダイナミックファーム」のウェブサイトには、経営者の息子さんと思われる幼い男の子の写真が掲載されていますので、これが弟さんである可能性がありますが、まだ確証はありません。
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龍汰さん自身のコメントでは、「彼が幼い頃に引っ越したので、一緒に暮らしてた時間は長くない」とのこと。この年齢差のため、兄弟関係は典型的な「お兄さん」という感じではない様子。
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