桜井ユキさんはクールな女性役を多く演じる実力派女優。彼女のファンは、その演技と存在感に魅せられているようです。
実家は大分の九重町という噂や、福岡で飲食店を経営している両親のことなど、家族にまつわるエピソードなど盛りだくさん。
今回は、桜井ユキさんの実家にまつわるエピソードについてまとめていきます。
桜井ユキさんの実家の家族構成は父・母・姉の4人家族!
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結論から書くと、桜井ユキさんは4人家族の中で育ちました。
彼女の家族構成は父、母、姉、そして桜井さん自身の4人となっています。ご両親や姉は一般の方ですが、桜井さんが家族を大切に思っていることは、過去のインタビューからも感じ取れます。具体的な情報はあまりありませんが、温かい家庭で育ったことが伺えます。
桜井さんの家族に関する詳細は、プライバシーを尊重するために公開されていないようです。
桜井ユキさんの父は一般人のため、詳細は明かされていない
桜井さんの家族は一般人のため、お父様の名前や写真などの情報も一般には出回っていません。
・・・とはいえ、桜井さんが実家で手伝いをしていた頃の写真があり、右側の男性が父親なのかもしれません。(※こちらは根拠がありませんので確約は一切できませんので注意。)
桜井ユキさんとの親子エピソードとしては、桜井さんが9歳の頃から女優を志して高校を卒業してすぐに上京する際も、心配しつつも最終的にはお父様がその夢を後押ししてくれたというもの。
一般的に女優という職業は、特に親からすれば不安定さや世間体など、心配な要素も多いもの。それでも娘の意思を尊重したという事実は、桜井さんの父親が、娘の人生の主人公は娘自身であるということを理解していた証でもあるでしょう。
父はずっと飲食店を経営している?
桜井さんのお父様は飲食店を経営しており、桜井さんも20歳から23歳の間、実家のそのお店を手伝っていたそうです。このお店は久留米市内にある居酒屋のようです。桜井さんは当時から人と話すのが少し苦手だったため、接客を通じて新しい挑戦を経験したと語っています。
また、桜井さんは幼少期に福岡県内で両親と一緒に過ごしていましたが、お父様の仕事の関係で県内を転々とする生活を送っていたようです。福岡県内で頻繁に転勤が必要な仕事について、その詳細は非公開となっています。
桜井ユキさんの母は美容関連のお仕事?
桜井ユキさんのお母様についても一般の方であるようで、詳しい情報はほとんど知られていません。
お顔や職業についても不明で、専業主婦なのか、パートで働いているのかもわかりません。ただ、美容師をしていたという噂もあり、美容院を経営している可能性も指摘されています。桜井さんの実家には「飲食店」と「美容院」の両方の噂があるため、お父様が飲食店を経営して、お母様は美容関連の仕事をしているかもしれません。
そして桜井さんのご両親は教育に熱心で、彼女が幼い頃から多くの習い事をさせていたようです。
このことから、ご両親が共働きでしっかりとした家庭を築いていたことが伺えます。とはいえ、桜井さんとご家族の関係は過干渉とは無縁で、適度な距離感を保っているそうで、お母様が桜井さんの演技を初めて見たのは最近のことだそうです。桜井さんのほうも案外、この距離感がちょうど良いと感じているとか。
2022年1月のインタビューでは、お母様が「ユキちゃんって、お芝居できるんだね」と驚いたエピソードが紹介されています。このように、温かくも干渉しすぎない関係が、桜井さんの自立を支えてきたのでしょう。
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当初は女優になることに反対していたご両親も、今では彼女の活動を見守り、必要以上に干渉せずに応援しているようです。
桜井ユキさんの姉も一般人のため、詳細は非公開
桜井ユキさんには年上のお姉さんが一人いますが、彼女も一般の方で、顔写真や名前などの詳細は公開されていません。
お姉さんもご両親と同じく芸能界にはあまり関わりがないようで、桜井さんの女優活動について特に詮索することはないそうです。この姉妹の関係も案外サッパリしているように見えますが、これは親の影響が大きいのかもしれません。
なお、お姉さんは既婚者で、旦那さんと共に家庭を築いており、実家を離れた後も家族との良好な関係を保っているとのことです。実家に帰る際には、祖父母の家で家族が集まりバーベキューを楽しむなど、温かい交流を続けている様子が伝わっています。
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桜井ユキさんの実家は福岡県久留米市!
桜井ユキさんは大分県九重町で生まれ、幼少期は祖父母と共にその地で過ごしていたことがわかっています。
小学校に上がるまでは九重町にある祖父母の家で生活し、自然の中でのびのびと遊び、地元の魅力を感じながら育ったそうです。祖父母は既に他界していますが、桜井さんは今でも彼らを大切に思い、実家に帰省した際には祖父母のお墓参りを欠かさないとのことです。
2023年に出演した番組「ANOTHER SKY」でも、桜井さんは九重町の祖父母の家を「大好きだった祖父母が残してくれた場所」として紹介し、特別な思い入れを語っていました。
のち桜井さんは小学校入学に伴い、福岡県久留米市へと引っ越し。両親と共に生活を始めました。
そして現在、桜井さんの実家は久留米市内で飲食店を営んでいると言われており、桜井さんも20歳から23歳頃までそのお店を手伝っていたこともあったとか。なお、この飲食店が居酒屋であるとの噂もありますが、店名や場所については非公開で、詳細は不明です。桜井ユキさん自身は、家族が営む飲食店について公に語ったことはありません。
肯定も否定もしていないため、あくまで憶測の範囲にとどまりますが、これまでのエピソードからは家族や故郷に対する強い愛情がうかがえますね。
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桜井ユキさんの実家はお金持ちの可能性が高い
桜井ユキさんの幼少期の話から、彼女のご両親は経済的に恵まれていたと考えられます。
桜井さんは幼い頃からピアノや日本舞踊、書道、スケートなど多くの習い事をしており、特に日本舞踊やスケートは道具や月謝が必要なため、ある程度の経済的余裕がある家庭で育ったのではないかと思われます。
桜井さんのご両親は子供の教育に非常に熱心。さまざまな成長の機会を与えていたことから、安定した収入の職業に就いていた可能性が高いと推測できます。
桜井ユキさんの学生時代の思い出は暗いものばかり?
ここからは、桜井ユキさんの学生時代に迫っていきたいと思います。
ちなみに桜井さんは幼い頃から元気いっぱいで、虫を捕まえたりキャンプを楽しんだりしていましたとか。しかし、意外にも人と話すのが苦手な一面もありました。その影響か、インタビューではその時期を「暗黒期」と振り返っています。
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いろいろな習い事を経験していた
これは前述した話でもありますが、桜井ユキさんは3歳からピアノを始め、さらに日本舞踊や小学校では書道、スケートなど多彩な習い事に取り組んでいました。音楽が大好きだった桜井さんは、小学校時代に合唱団にも参加していました。
女優を目指すようになったのは小学校3年生の時で、その夢は卒業文集にも「女優になる」と書かれるほど強いものでした。また、中学校では吹奏楽部に入部し、サックスを担当しながらも、ピアノのレッスンも続けていました。これらの多様な習い事は、彼女の家庭が経済的に恵まれていたことを示す一因と考えられています。
桜井ユキさんの中学と高校時代は音楽漬け
高校時代には吹奏楽部に所属し、中学と同様にサックスを担当していました。さらに、部活動以外でもジャズ演奏を楽しむなど、音楽に対する情熱が強かったようです。
学生時代はあまり楽しいと感じていなかったものの、高校生活が進むにつれて徐々に楽しくなり、友人と福岡市内に遊びに行くことが楽しみの一つだったようです。また、久留米市内のスーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトをしたり、商店街のレストランバーでも働いた経験がありました。久留米での高校時代は、アルバイトや友人との思い出が詰まった大切な時期だったのでしょう。
なお、桜井さんが通っていた高校は福岡県久留米市にある「福岡県立久留米筑水高校」とされているものの、詳細は明らかにされていません。
桜井ユキさんは幼少期から女優を目指していた!
また、桜井ユキさんは幼少期から芸能界に強い憧れを抱いており、中学生の頃には親の許可を得ずに福岡市内の芸能事務所に応募したことがあるとインタビューで明かしています。
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漠然と「女優になりたい」という夢を抱き続けており、高校3年生の進路指導の際にも「上京して女優になる」と真剣に語っていたそうです。しかし、具体的な根拠もなく一見突飛な計画だったため、先生からは半ば呆れられていたといいます。
また、桜井さんは高校3年生の時に、福岡県・佐賀県の女子高校生を対象としたミスコン「いちご姫」でグランプリに輝いています。この受賞により雑誌にも掲載され、東京の芸能事務所から面接の誘いを受けるまでに至りました。しかし、桜井さんの両親は「高校卒業までは我慢するように」と進言し、上京して面接に行くことは断念しました。なお、「いちご姫」のグランプリは女優の田中麗奈さんも高校時代に獲得しており、当時から注目を集める存在であったことが伺えます。
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グラビアアイドルとして活躍していた時期も
桜井ユキさんは高校を卒業した後、大学には進まず、19歳で女優を目指して東京に上京しました。しかし、東京の生活にはなかなか馴染めず、約1年後には故郷の久留米市に戻ることに。
彼女のインタビューでは「東京にはなかなか馴染めなかった」と当時の気持ちを振り返っています。
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久留米に戻った後は、家族が経営する飲食店を手伝ったり、地元のレストランバーでアルバイトをしながら働いていたそう。そこで接客業を選んだのには理由があり、当時あまり人と話すのが得意ではなかったため、それを克服するための挑戦だったそうです。その後、23歳まで実家の飲食店を手伝いながら、地元でさまざまな経験を積んでいったとのことです。
彼女は上京後、「帆足友紀」という名前で活動を始め、女優ではなくグラビアアイドルとして活動していたようです。桜井さんは本名を公開していませんが、この下の名前が「ゆき」であることから「ゆき」は本名なのかもしれません。
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桜井ユキは23歳で再上京!
彼女が23歳のとき、かつて10代の頃にスカウトしてくれた芸能事務所「area」のマネージャーから再び声がかかり、これが最後のチャンスだと感じた桜井さんは再び上京することを決意しました。「area」に所属することができたものの、当時の彼女は「演技力が壊滅的」と言われ、オーディションの機会すら得られない状況でした。
画像参考:アドタイ
そこで、桜井さんは基礎から学ぶために舞台演出家・石丸さち子さんが主宰する「俳優私塾POLYPHONIC」で毎日稽古に励み、発声や基本的なトレーニング、演技指導に取り組んでいくことに。石丸さち子さんは日本を代表する演出家・蜷川幸雄さんのもとで経験を積んだ演出家で、その厳しい指導のもとで桜井さんの才能は徐々に開花。
2011年からは「SUBARU」や「NEXCO中日本」のCMに出演し、さまざまな現場での経験を重ね、現在まで続く女優の道を切り開いていきました。
26歳で女優として人気を獲得!
桜井ユキさんは2013年、26歳の時に『悪霊病棟』でテレビドラマに初めて出演しました。翌2014年には『寄生獣』や『新宿スワン』といった話題作に出演し、徐々にその実力が注目されるようになっていきます。そして2015年には驚異の1年間で8作品に出演するなど、精力的に活動。その存在感は大きく高まっていきました。
転機となったのは2016年1月。28歳の時にフジテレビ月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』で連続ドラマ初のレギュラー出演を果たします。この作品により、女優としての注目度は一気に高まりました。
26歳でのデビューは女優としては比較的遅いスタートでしたが、アラサーで人気女優の仲間入りを果たしています。また、デビュー当初は演技に苦労していたとされていますが、現在では「演技派女優」として高い評価を得ています
画像参考:livedoor News
桜井ユキさんのキャリアは、挫折と再起の物語としても印象的ですね。一度は挫折を経験しながらも諦めることなく再チャレンジし、26歳という比較的遅いスタートながら女優としての道を歩み始めました。デビューまでに積み重ねてきた様々な人生経験は、彼女の演技の深みとなって表れています。
桜井さん自身も、それまでの経験が演技の幅を広げることに役立っていると語っており、これは彼女の演技に独特の説得力を与えている要因の一つかもしれません。演技へのアプローチも興味深く、役のキャラクターと自身のパーソナリティを近づけていく手法を取っているそうです。
この方法により、より自然な演技が可能になり、観る人の心に響く演技を実現しているのでしょう。
デビュー当初は演技に苦労したとされていますが、現在では演技派女優として高い評価を得るまでに成長を遂げています。
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